東北地方の要衝に立地する、初詣の定番で、日本三大稲荷の一社
[住所]宮城県岩沼市稲荷町1-1
[電話]0223-22-2101

竹駒神社(たけこまじんじゃ)は、宮城県岩沼市にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。別名は竹駒稲荷とも呼ばれ、旧称は武隈明神(たけくまみょうじん)。東北地方において、陸奥国一宮鹽竈神社と一、二を争うほどの初詣客が訪れることで知られる。参拝すれば、御朱印を頂ける。

伏見稲荷大社(京都市)などとともに日本三大稲荷の一社ともされる。当社自身は、伏見稲荷大社、当社、そして笠間稲荷神社(茨城県・笠間市)を日本三大稲荷としている。

倉稲魂神(うかのみたま・稲荷神)を主祭神とし、相殿に保食神(うけもちのかみ)、稚産霊神(わくむすひのかみ)を祀る。「竹駒稲荷大神」とも総称されるこれら三柱の神々は、人間生活の基礎である衣食住を守護する神々として崇敬されている。

社伝では、承和9年(842年)、小野篁が陸奥国司として赴任した際、伏見稲荷を勧請して創建したと伝える。

後冷泉天皇の治世(1045年-1068年)に陸奥国を歴遊中の能因が、当社の神が竹馬に乗った童の姿で示現したとして、当社に隣接して庵を結び、これが後に別当寺の竹駒寺となった。

戦国時代には衰微していた当社に、伊達稙宗が社地を寄進するなど、伊達家の崇敬を受け発展した。文化4年(1807年)には正一位の神階を受けた。

明治政府の神仏分離により、明治2年(1869年)、竹駒寺は少し離れた現在地に移転。この際、武隈明神が否定され、以降、稲荷神が主祭神とされた。明治7年(1874年)、県社に列格した。

かつての社殿は、仙台藩の五代藩主伊達吉村によって造営されたものであったが、平成2年(1990年)11月21日未明、革労協の放火により焼失、平成6年(1994年)に再建された。

「竹駒」という社名は、現岩沼市域の旧称「武隈」の転訛であり、もともとは、市内を流れる阿武隈川に由来するという。

当社は、宮城県南東部の旧名取郡南部の仙台平野にあり、東流する阿武隈川左岸(北岸)に位置している。

当社の所在地である岩沼は、畿内を始点にして東進する東山道(岐阜・塩尻・高崎・宇都宮を経由する)と東海道(名古屋・浜松・東京・水戸を経由する)の双方が、初めて合流する地点である。

ここから宮城郡北部の松島丘陵まで両者は合流したまま北上し、陸奥国府・多賀城(関ヶ原以後は仙台)で分岐する。

このため、当社は、太平洋岸ルートと内陸ルートの2本の主要幹線が分岐・合流する交通の要衝に創建され、畿内政府や奥州藤原氏や伊達氏など、当地を支配した歴代の統治者に重視されてきた。

なお、海上自衛隊の護衛艦「あぶくま」の艦内神社に分祀しているという。「あぶくま」の艦内神社は他に、籠神社を勧請している。日本海軍の軽巡洋艦「阿武隈」の艦内神社は白河鹿嶋神社を勧請していた。

境内には、北野神社、秋葉神社、出雲神社、総社宮、八幡神社、愛宕神社などがある。また、拝殿の地下には通路があり、そこには放火事件消失前の元宮跡地がある。

元宮跡地の北側には、稲荷大神の神使である神狐を祀る命婦社と、奥宮が鎮座する。

毎年旧暦2月の初めての午の日から7日間にわたり、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全を願って初午大祭が執り行われる。例祭は4月と9月の春秋2回。1月に行われる松焚祭(どんと祭)でも知られている。

日本三大稲荷は伏見稲荷大社以外の残り二社について、諸説あるが、当社以外に、当社を日本三大稲荷の一社としている神社はない。

当社が挙げている笠間稲荷神社は、伏見稲荷大社と自身の他に、祐徳稲荷神社(佐賀県・鹿島市)を日本三大稲荷としている。

なお、亘理郡亘理町長瀞の尊久老稲荷神社には、尊久老稲荷神社と当社が夫婦神である、尊久老稲荷神社から当社につながる洞窟があるなどの伝承が残る。

【ご利益】
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全(岩沼市
竹駒神社 - 東北地方の要衝に立地する、初詣の定番で、日本三大稲荷の一社
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あぶくま - Wikipedia