香坂王の伝承や仁徳期の氷室旧跡、現在「愛のポスト」で脚光
[住所]兵庫県神戸市兵庫区氷室町2-15-1
[電話]078-531-2883

氷室神社(ひむろじんじゃ)は、兵庫県神戸市兵庫区にある神社。

氷室旧跡があり、『日本書紀』仁徳天皇62年の夏の条に皇兄額田大中彦皇子闘鶏野で氷室を発見した記事に該当するとされる。『古事記』には氷室に関する記載はない。

御祭神は市杵島比売大国主命仁徳天皇(第16代天皇)。

創建は不詳だが、先の氷室発見の他、当社では仁徳天皇にとっては伯父にあたる香坂皇子(かごさかのみこ)の伝承があるという。

仁徳天皇の父に当たる第15代応神天皇が即位する前、その兄にあたる香坂王が、実弟の忍熊王とともに、三韓征伐から畿内に帰還しようとしていた神功皇后と、生まれたばかりの(後の)応神天皇に対して反旗を翻す。

香坂王は戦いの前に狩りにおいて吉凶を占ったところ、「おっことぬし」のようなイノシシが現れて食い殺されてしまう。『古事記』にも描かれた説話

その墓が、夢野(禁野(イミノ)=高貴な方の墓地の意)と呼ばれる地に「御塚」として残っているというもの。

現在の夢野町は当社から少し離れてはいるものの、以前「御塚」も当社境内内だった。後述のように当社も夢野弁天と呼ばれる。

平清盛が治承4年(1180年)、福原遷都の際、兵庫七弁天の一社として市杵島比売を奉斎(清盛七辨天の夢野弁天)。平教盛がここに別邸を建て、後白河法皇を幽閉したことでも知られる。

建武3年(1336年)の湊川の戦いで、楠木正成が会下山に陣する時、この地より人夫が出て仕えたという。

寛政から享和(1789年-1803年)までは名水「夢野の清水」があって、湯に沸かして遠近の人に入浴させたため、氷室の湯と言った。

元禄年間(1688年)以降の古文書には「氷室古跡」並びに「弁財天社」として崇敬が厚いと頻繁に登場してくる。

境内には、春日・皇太・猿田彦社と地主神を祀り、また明治8年(1875年)に京都の伏見稲荷大社より勧靖した氷室稲荷神社がある。

「愛の手紙」を神様に届ける「愛のポスト」を設置している。今では清盛七辯天の「れんあいべんてん」とも称され、恋愛成就に関するパワースポットになっている。

もともとの御祭神と考えられるオオクニヌシは、出雲大社を出すまでもなく縁結びの神。清盛によって奉斎された市杵島比売は弁天様、商売や芸能はもちろん、女神からの連想としても、恋にご利益がある。

なお、御祭神の仁徳天皇は氷室の発見にちなむものと考えられる。奈良市にも氷室神社があり、そこでも同じ伝承を伝える。

【ご利益】
縁結び、恋愛成就、商売繁盛、芸能上達など
氷室神社(神戸市) - 香坂王の伝承や仁徳期の氷室旧跡、現在「愛のポスト」で脚光
【関連記事】
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧