地福のトイトイ(じふくのトイトイ)
種別1:風俗慣習
種別2:年中行事
公開日:毎年1月14日
指定日:2012.03.08(平成24.03.08)
都道府県:山口県
所在地:旧阿武郡阿東町の地福地区

地福のトイトイは、子どもたちが集落の家々をワラウマ(藁馬)をもって一軒ずつまわって供物と交換し、家内安全や無病息災、五穀豊穣などを祈願する小正月の訪問者の行事で、山口県の北部、中国山地の西端に位置する旧阿武郡阿東町の地福地区に伝承されてきたものである。

この行事の起源については、地元にも伝承がなく定かではない。ただ、天保13年(1842年)頃に長州藩が編纂したといわれる『風土注進案』には、例えば、「切畑村」の項に「同十五日宵とひと申、膳又は折敷等へ銭差又は藁ニて馬船等を拵へ松竹を添持来り、障子の内に入置候得ハ其膳え代りに餅を置候、取に来り候時水を懸候て戯候事」という記述がみられるように、この種の行事が1月15日頃に行われる行事として「とひ」「とへい」「とへとへ」などの名称でいくつか記述されており、少なくとも江戸時代には山口県内でこの種の小正月行事が行われていたことがわかる。

この行事は、現在、地福地区の市、岡、用路、山田、桜乃里、葉ツ久などのいくつかの集落で、集落をいくつかに分けて、あるいは集落を単位として、小学1年生から中学3年生までの男女がいっしょに行事を行っている。

ただし、厳しい禁忌や年齢階梯的な役割などはなく、不幸のあった家の子どもも参加できるほか、幼稚園の子どもが参加することもある。かつては、各集落の子どもたちが気のあった友達どうしで誘い合って行事を行っており、子どもに混じって20歳前後の若者が参加することもあった。

子どもたちは、まず行事の前の適当な日に、各家に渡すためのワラウマを製作する。ワラウマは、頭から尾までの長さが20-30センチほどのもので、単にウマ(馬)と呼ばれることもある。子どもたちは、それぞれの集落の公民館などに集まって、大人たちの指導を受けながら自分たちで製作する。ワラウマは、各家に1頭ずつ渡されるため、一人が平均3頭程度を製作しなければならない。

行事は毎年1月14日夜に行われる。戦前までは旧暦1月14日であったが、戦後からは新暦で行うようになっている。

例えば、市という集落の行事をみると、午後6時半頃に地福市公民館に子どもたちが集合する。市は69戸と比較的戸数が多いため、三つの班に分かれて訪問する。

子どもたちは、訪問先の家の前にくると、藁馬を笊のなかに入れて玄関先に置き、玄関の戸を10センチほどそっと開けてから、全員で「とい、とーい」と大声で叫ぶ。

そして玄関の戸を閉めて急いで物陰などに隠れる。しばらくすると、家人が玄関先に出てきて、笊とワラウマを持っていったん家の中に入る。

そして、今度は笊に餅やみかん、菓子、お金などを供物として入れて玄関先に置き、また何事もなかったかのように玄関の戸を閉めて家の中に入る。

すると隠れていた子どもたちは家人に見つからないように笊と供物をそっともらって立ち去る。

このとき、家によっては玄関に水を入れたバケツや桶を用意しておいて、再び玄関の戸を開けて、子どもたちに柄杓で水を浴びせようとすることもある。

この水を浴びると、良くないことが起こる、病気になる、縁起が悪いなどといって、子どもたちは必死で逃げまわりながら、供物を取ろうとする。

本件は、年頭にあたって訪問者が福や穀物の豊穣を授けるという行事の一つである。

山口県を含む中国地方ではこの種の行事がトイトイ、トロヘイ、トヘトヘなどの名称で広く伝承されていたことが知られており、本件は、中国地方に伝承されてきた小正月の訪問者の行事の典型例の一つであり、我が国の小正月の訪問者の行事の特色や変遷を考える上で重要なものである。

また、中国地方では、この種の行事のほとんどが、昭和30-40年代に中断している。そうしたなかで山口県内でも、中断せず今日まで伝承されているのは本件のみであり、類例の少ない貴重な事例でもある。

保護団体名:地福といとい保存会
重要無形民俗文化財「地福のトイトイ」 - 子供たちが各戸訪問する山口の小正月行事
【関連記事】
山口県の重要無形民俗文化財 - 都道府県別に整理