下総国二宮、創建1200年の古社は現在、嵐ファン聖地の一つ
[住所]千葉県船橋市三山5-20-1
[電話]047-472-1213

二宮神社(にのみやじんじゃ)は、千葉県船橋市にある神社。古くは「三山明神」「二宮明神」とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 下総国 千葉郡「寒川神社」に比定される式内社(小社)の論社。下総国二宮とされ、近代社格では郷社。

御祭神は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、櫛稲田比売命(くしなだひめのみこと)、大国主命(おおくにぬしみこと)、藤原時平命(ふじわらのときひらのみこと)。

明治43年(1910年)に近隣の無格社・若宮八幡神社の御祭神である大雀命(第16代仁徳天皇)、摂社・阿波八幡神社の御祭神である誉田別命(第15代応神天皇)を合祀した。

社伝によれば、弘仁年間(810年-824年)、嵯峨天皇の勅命により創建された。当初の御祭神三柱は、主に氷川神社で見られる形態。

現社号で呼ばれ始めた時期は不明であるが、乾元2年(1303年)銘の梵鐘(成田市祥鳳院蔵)に「総州二宮社壇」とあることから、鎌倉時代にはすでにこの呼称があったことがわかる。

治承4年(1180年)に藤原師経が左遷された際、藤原時平が相殿に合祀されたという。藤原時平は菅原道真の政敵であるため、天神の氏子は当社に参拝しなかったと伝わる。

現在の八千代市には、時平を祀る時平神社四社があり、時平の娘である高津姫が移り住んだと伝わる高津比咩神社もある。

三山氏が先祖代々神官を務めた。地名同様「三山」の名は古くは「御山」と見え、当社に起因する。

安土桃山時代の天正19年(1591年)には徳川家康から朱印地10石を与えられたほか、江戸幕府将軍からの寄進は幾度にも及んだ。

幕末の安政5年(1858年)刊の『成田参詣記』では「三山明神社(みやまみょうじんやしろ)」の図の挿絵とともに紹介されている。

古来より「注連下」と呼ばれる氏子の区域は21・3ヶ村(現 船橋市東部・北部、習志野市、八千代市、千葉市西部)にまたがる広大な地域に達し、現在でも例祭などは極めて大きな規模となる。

数え年で7年に1度催行される下総三山の七年祭りでも知られている。無形文化財としては、二宮神社神楽もある。

式内社「寒川神社」の論社は他に、千葉市中央区寒川町の寒川神社がある。また、下総国二宮としては他に、旭市の玉崎神社がある。

男性アイドルグループ「嵐」(ジャニーズ事務所)の聖地とされる場合があり、いわゆる「嵐神社」の一つ。メンバーの二宮和也にちなむ。

ただし、嵐神社は関西圏を中心にメンバーに神社を当てはめる場合が多く、その場合の二宮神社は兵庫県神戸市中央区の同名神社を指すことが一般的。

しかし、当社でも嵐ファンからの要望を受けて、嵐メンバー五人のそれぞれのカラー(青 / 緑 / 黄 / 赤 / 紫)によるお守りを制作、授与している。

当社公式サイトでは特に嵐に言及されていない。神戸市中央区でも同じような五色のお守りがあるが、当社の方が小ぶりで、その分カワイイと評判。サイトに問合せ方法が掲載されている。

人気がありすぎて入手が困難とされる「嵐」のライブチケットの抽選祈願をする参拝客も多いという。

また、ふなっしーとのコラボでも知られており、ふなっしー御守などもある。

【ご利益】
厄除け、縁結び、良縁、学問成就など
二宮神社(船橋市) - 下総国二宮、創建1200年の古社は現在、嵐ファン聖地の一つ
【関連サイト】
嵐神社 - 男性アイドルグループ「嵐」のメンバーの名前などと関連のある日本全国の神社

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二宮神社(船橋市)の御朱印