伊豆最古の宮、通称・白浜神社 三嶋大社の元宮で后神
[住所]静岡県下田市白浜2740
[電話]0558-22-1183

伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)は、静岡県下田市にある神社。伊豆最古の宮、通称は白濱神社(白浜神社)。

『延喜式神名帳』にある「伊古奈比咩命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社

御祭神は、伊古奈比咩命(いこなひめのみこと、三嶋大明神の后神)を主祭神する。

相殿神として、三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と、その随神の三柱、見目(みめ、見目大神、女神)、若宮(わかみや、若宮大神、男神)、剣の御子(つるぎのみこ、劔御子大神、男神)。

三嶋大明神は、伊豆国一宮三嶋大社御祭神で、事代主命(ことしろぬしのみこと)と同体する。

社伝(由緒書)によると、まず三嶋神は南方から海を渡って伊豆に至った。そして富士山の神・高天原の神から伊豆の地を授けられ、白浜に宮を築き、伊古奈比咩命を后に迎えた。

さらに、見目・若宮・剣の御子の3柱や竜神・海神・雷神などとともに伊豆諸島の島焼き(造島)を行なった。

島焼きによって、初島に始まり神津島・大島・三宅島・八丈島など合計10の島々を造り、自身は三宅島に宮を営んだ。その後しばらくして、白浜に還ったという。

以上の伝承は、伊豆地方に伝わる縁起『三宅記』に記載されている。第六代孝安天皇元年に三嶋神は天竺から至り、同21年から島焼きを行なったとする。

三嶋神は当社から現在の三嶋大社に遷座したとされ、当社は三嶋大社の元宮ということになる。

『釈日本紀』天長9年(832年)の記事で、三嶋神・伊古奈比咩命神の二神が地2000町(約2000ヘクタール)に神宮二院・池三処を作るなど多くの神異を示したことにより、名神に預かっている。

この記事の3日前の記事では、日照りの原因が「伊豆国神」の祟りであると記されており、この「伊豆国神」は三嶋神・伊古奈比咩命神を指すという説もある。

『続日本後紀』では、承和5年(838年)7月5日夜に上津島(神津島)で激しい噴火が発生。占いの結果、三嶋大社の後后が神階を賜ったにも関わらず、本后たる阿波神(阿波命神社御祭神)には沙汰がないことに対する怒りによるものだとされた。

この後后が、当社を指すものとされる。この記事を受けて、約1ヶ月後には、阿波咩命と物忌奈命(阿波神の御子神:物忌奈命神社)の神階が無位から従五位下に昇った。

伊豆国賀茂郡には全国でも突出する密度(1郡で46座、1郷平均9.2座)の式内社が記されているが、名神大社に列したのは当社のほか、伊豆三島神社(三嶋大社)、阿波神社(阿波命神社)、物忌奈命神社の四社のみ。

以降の歴史は、少数の資料を残すのみとなり、詳細は伝わらない。八幡宮来宮神社との関係が指摘されている。江戸時代中期頃からは、社勢は著しく衰退したとされる。

当社は幕府・郡代の崇敬に預かっていなかったこと、寛文7年(1667年)の検地によって境内地以外の社領は年貢地に改められたこと、そのため、社家のほとんどが帰農して、ついには神主の原氏1家を残すのみとなったという。

原氏は現在にまで続く神主家。江戸期に最大で37家、明治期にも27家の社家を数えたが、大正の遷宮の際に、それら社家の氏神を合祀して二十六社神社(27家-原氏=26家)とし、二十六社神社は現在も当社境内に残る。

「伊古奈比咩命神社のアオギリ自生地」として、国の天然記念物に指定されている。歌手の西城秀樹が平成13年(2001年)、当社で神前結婚式を挙げたことで知られている。

なお、式内社「穂都佐気命神社」は、当社の御子神とされる。論社に南伊豆町大瀬の王子神社、入間の三島神社、下田市須崎の両神社がある。

【ご利益】
縁結び、子育ての神、商売と漁業の神、武道(公式HP
伊古奈比咩命神社 - 伊豆最古の宮、通称・白浜神社 三嶋大社の元宮で后神
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