【日刊】日本の城
名称:佐倉城(さくらじょう)
別称:鹿島城

史跡:市の史跡
国宝:-
重文:-

住所:千葉県佐倉市城内町官有無番地
日本100名城:第20番
  - スタンプ:佐倉城址公園管理センター
佐倉城(さくらじょう)は、下総国(今の千葉県佐倉市)にあった、江戸期には佐倉藩の藩庁などにも機能した日本の城である。

築城年は天文年間(1532年-1555年)であり、廃城年は1873年(明治6年)。主な築城者は鹿島親幹で、主な改修者は千葉邦胤、土井利勝である。

鹿島山の西端部に築かれ、西側と南側を囲みこむように鹿島川とそれに合流する高崎川が流れ、北側には印旛沼に至る低湿地が広がっていた。

戦国時代、本佐倉城主千葉親胤が大叔父にあたる鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、親胤が暗殺されたために工事は中止、千葉邦胤の代にも工事が試みられたものの、今度も邦胤の暗殺によって完成することはなかった。

いつしか築城予定地には鹿島親幹にちなんで「鹿島台」と呼ばれるようになったが、1610年(慶長15年)、徳川家康の命を受けた土井利勝によって築城が再開され、ついに完成した。

江戸時代は佐倉藩の藩庁が置かれた。城主は江戸幕府の要職に就くことが多く、なおかつ初期は城主の入れ替わりが多く、江戸初期に城主であった堀田正信(後に改易されている)の弟・堀田正俊の孫・堀田正亮が11万石で再入封(後期堀田氏ともいう)してからは、安定した藩経営が行われるようになった。

城郭は比較的質素で石垣を一切用いず、干拓以前の広大だった印旛沼を外堀の一部にし、三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としている。このようなケースは関東地方を領した、要衝を預かる城郭を除き、川越城や古河城などの譜代各藩の城にみられた。

しかし明治維新後に廃城令により建物を撤去。その後帝国陸軍歩兵第2連隊、後に歩兵第57連隊(通称・佐倉連隊)の駐屯地となったため、更に佐倉城の名残は消し去られた。

1962年(昭和37年)3月28日に市の史跡に指定され、現在は跡地は佐倉城址公園として整備されており、その一区画に国立歴史民俗博物館が建っている。

キャラクター(ゆるキャラ)は、カムロちゃんである。関連情報はこちらのサイトに詳しい。
佐倉城 下総国(千葉県佐倉市) - サムネイル写真
【関連サイト】
佐倉城址公園について - 佐倉市