【日刊】日本の城
名称:白河小峰城(しらかわこみねじょう)
別称:白河城、小峰城

史跡:市の史跡
国宝:-
重文:-

住所:福島県白河市郭内
日本100名城:第13番
  - スタンプ:白河集古苑、JR白河駅内観光案内所
白河小峰城(しらかわこみねじょう)は、陸奥国(今の福島県白河市)にあった、江戸期には白河藩の藩庁などにも機能した日本の城である。

築城年は1340年(興国元年/暦応3年)であり、廃城年は1871年(明治4年)。主な築城者は結城親朝で、主な改修者は丹羽長重である。

阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。

南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に、結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まり。

天正18年(1590年) 城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されると、その後、この地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度、蒲生氏が支配した。

寛永4年(1627年) 丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封され、幕命により、寛永6年より城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして寛永9年(1632年)に完成した。

その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があったが、慶応3年(1867年)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河藩は幕領となり、城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。

慶応4年(1868年)、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した。

明治6年(1873年)1月14日の廃城令では存城とされた。城跡には曲輪・土塁・石垣・水堀を残すのみだったが、平成3年(1991年)に本丸跡に三重櫓(天守に相当)が、平成6年(1994年)に前御門が当時の史料に基づいて復元された。

2011年3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていたが、2015年4月19日に小峰城復興式が開催され、復興式終了後、入城可能となった。

東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城若松城とともに「東北三名城」の一つにも数えられている。

周辺は城山公園として整備され、公園内には、結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」や「白河バラ園」(6月のみ営業)がある。

選ばれている。

キャラクター(ゆるキャラ)は、小峰シロである。関連情報はこちらのサイトに詳しい。
白河小峰城 陸奥国(福島県白河市) - サムネイル写真
【関連サイト】
白河小峰城 - 行って!みっぺ!白河