【日刊】日本の城
名称:根城(ねじょう)
別称:-

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:-

住所:青森県八戸市根城字根城47
日本100名城:第5番
  - スタンプ:史跡根城の広場料金所、八戸市博物館受付、史跡根城ボランティアガイドハウス窓口
根城(ねじょう)は、陸奥国(今の青森県八戸市)にあった日本の城である。

築城年は1334年(建武元年)であり、廃城年は1627年(寛永4年)。主な築城者は南部師行である。

元弘3年/正慶2年(1333年) 南朝方の武将・北畠顕家は陸奥国司として後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じて陸奥国に下向。この時、甲斐国波木井の地頭職であった南部師行も供奉し、国代として任じられた。

建武元年(1334年) 師行は、糠部郡八森に城を構えた。師行はここを、南朝方の根本となる城という願いから「根城」と名付けた。師行は大光寺合戦などで戦功を立て津軽地方にも勢力を伸長。しかし、和泉国石津川での戦いで顕家と共に戦死した。

師行の死後、次第に南朝方が劣勢になると、京より遠く離れた奥州北部の南部氏の勢力も弱体化。明徳4年(1393年)、南部氏八代の八戸政光は本領の甲斐より、根城に移って南部氏の再興を図った。

この系統は八戸氏とも呼ばれている。その後も周囲での小競り合いが絶えず不安定な時代が続いた。そして、同族である三戸南部氏が次第に有力になる。

天正18年(1590年) 小田原征伐の際に宗家の三戸城主南部信直は豊臣秀吉の元に帰参して所領の南部七郡を安堵された。同時に、根城八戸氏も宗家の支配下に組み込まれた。

天正20年(1592年)、秀吉の命により、城そのものは破壊されたが、館自体は残され、これ以降も八戸氏の本拠であり続けた。

宗家の南部利直は盛岡城を築き盛岡藩を開いた。同時に八戸も盛岡藩領に帰属した。寛永4年(1627年)、八戸氏22代・直秀は遠野城(岩手県遠野市)に移封となり根城は廃城となった。

現在は本丸主殿などが復元され、周囲は「史跡根城の広場」として整備されている。城としてのマスコットキャラクターはない。
根城 陸奥国(青森県八戸市) - サムネイル写真
【関連サイト】
国史跡 根城 [八戸観光コンベンション協会]

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