【日刊】日本の城
名称:姫路城(ひめじじょう)
別称:白鷺城

史跡:国の特別史跡
国宝:大小天守と渡櫓など8棟
重文:櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟

住所:兵庫県姫路市本町68
日本100名城:第59番
  - スタンプ:天守改札横
姫路城(ひめじじょう)は、播磨国(今の兵庫県姫路市)にあった、江戸期には姫路藩の藩庁などにも機能した日本の城である。三名城、三大平山城、また松山城和歌山城とともに三大連立式平山城の一つ。

現存天守で、築城年は1346年(正平元年/貞和2年)であり、廃城年は1871年(明治4年)である。天守の築造年は、1601年(慶長6年)である。主な築城者は赤松貞範で、主な改修者は黒田孝高、池田輝政である。

現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。

江戸時代以前に建設された天守が現存しており、ほぼ中堀以内の城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。

1993年(平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

始まりは、1346年(正平元年/貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力。一方で城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆父子による築城を最初とする説も。

戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になると、山陽道上の交通の要衝だったために本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された。

江戸時代には姫路藩の藩庁となり、更に西国の外様大名監視のために西国探題が設置されたが、城主が幼少・病弱・無能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交替している。

池田氏に始まり譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や親藩の松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた時の酒井忠邦まで約270年間、六氏三十一代が城主を務めた。

明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第10連隊が駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などが名古屋城と共に国費によって保存される処置がとられた。

昭和に入り、太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。

昭和の大修理を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められた。昭和の修理が行われたことは記憶に新しい。

日本さくら名所100選「姫路城」として、日本の歴史公園100選「姫路公園」として、それぞれ選ばれている。

キャラクター(ゆるキャラ)は、しろまるひめである。関連情報はこちらのサイトに詳しい。
姫路城 播磨国(兵庫県姫路市) - サムネイル写真
【関連サイト】
姫路市|姫路城公式ホームページ(姫路城大図鑑)

【関連記事】
射楯兵主神社 - 20年と60年に一度の大祭が有名な播磨国総社、姫路城近く官兵衛ゆかり
兵庫縣姫路護國神社 - 県西部の英霊を祀る姫路城の中曲輪内の敷地に鎮座する「白鷺宮」
姫路神社(姫路市) - 姫路藩酒井家に縁のある酒井正親と姫路藩酒井家歴代藩主を奉斎
男山八幡宮(姫路市) - 境内から天守閣が真横に見える姫路城の守護神、2月に厄神祭

現存天守
弘前城 陸奥国(青森県弘前市)
松本城 信濃国(長野県松本市)
丸岡城 越前国(福井県坂井市)
犬山城 尾張国(愛知県犬山市)
彦根城 近江国(滋賀県彦根市)
・姫路城 播磨国(兵庫県姫路市)
松江城 出雲国(島根県松江市)
松山城 備中国(岡山県高梁市)
丸亀城 讃岐国(香川県丸亀市)
松山城 伊予国(愛媛県松山市)
宇和島城 伊予国(愛媛県宇和島市)
高知城 土佐国(高知県高知市)