・所在地:愛知県名古屋市熱田区旗屋町

・時 期:6世紀初頭
・時 代:古墳時代後期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
断夫山古墳(だんぷさんこふん/だんぷやまこふん)は、愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮公園内にある、6世紀初頭、古墳時代後期お築造と考えられる、墳丘全長151メートルの前方後円墳。国の史跡。

愛知県内最大規模の古墳。「夫を断つ」とは、後述の伝承との関わりが感じられるが、熱田神宮では「陀武夫御墓」と称するほか、「鷲峰山」「団浮山」「段峰山」と記される場合もある。

熱田神宮公園の敷地も含めてかつては熱田神宮の管理下にあったが、第二次大戦後に名古屋市の戦災復興事業に伴い借換地となり、1980年(昭和55年)に愛知県の所有となって現在に至る。

後円部は直径80メートル、高さ13メートル、前方部は幅116メートル、高さ16.2メートル。名古屋台地が伊勢湾に突き出した先端部に所在し、周壕は埋め立てられているが、墳形は当時の姿をとどめている。

後円部は台状で三段に築かれていたと見られており、二段目の傾斜面に土師質の円筒埴輪を巡らせ、河原石の葺石を葺いた造りになっていた。

また、北西の前方部と後円部のくびれ部に方形の「造り出し」が造られており、須恵器なども発見された。古墳の内部構造は未調査。

熱田神宮の社伝では、日本武尊(ヤマトタケル)妃の宮簀媛(みやずひめ=ミヤズヒメ)の墓としている。数百メートル程南にある白鳥古墳を「白鳥御陵」として日本武尊の陵とし、現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳とにおいて御陵墓祭を行なっている。

学界としては、5-6世紀に周辺の海人に影響力を持っていた尾張氏の首長墓、特に、娘である目子媛(めのこひめ)をオホド王(後の第二十六代継体天皇)に嫁がせたことで天皇の外戚となった尾張連草香(おわりのむらじくさか)が有力視されている。

なお、ヤマトタケルの陵は宮内庁により、能褒野王塚古墳(三重県・亀山市)が日本武尊能褒野墓に、大和琴弾原古墳(奈良県・御所市)が日本武尊琴引原白鳥陵に、軽里大塚古墳(大阪府・羽曳野市)が日本武尊白鳥陵に、それぞれ治定されている。

また、春日井市にある味美二子山古墳の被葬者と、断夫山古墳の被葬者は密接な関係にあった可能性が指摘される。

【関連サイト】
断夫山古墳 - Wikipedia