770年創祀、紀州藩歴代藩主に崇敬された、江戸期の神輿が伝わる古社
[住所]和歌山県紀の川市粉河2788番地
[電話]0736-73-2415

粉河産土神社(こかわうぶすなじんじゃ)は、和歌山県紀の川市にある神社。ただ単に産土神社とも。

主祭神は、丹生津比売命(にうつひめのみこと)、天忍穂耳命。配祀神は、大伴孔子古命、大伴船主命。

奈良時代の宝亀年間(770年)、大伴氏が粉河寺を創始するに際し、鎌垣庄内各村の氏神を勧請して祀るのに始まり、現在は粉河郷の総社。

当国藩主累代の崇信を得て、年々の祭礼には1000人扶持を下賜されていた。

平安・鎌倉以来朝家公郷の信仰厚く、下記の諸公郷よりの、粉河寺鎮守として当社の神徳を宣揚する記録が残る。

・正暦2年(991年)11月28日、從五位上左小辨藤原朝臣説教、正六位上右小史物部宿弥
・保延4年(1138年)3月25日、正四位下左近衛中将兼美作介藤原朝臣公能
・久安2年(1146年)4月29日、主典代兼播摩権介皇后宮大夫大江朝臣

『紀伊続風土記』にも記載があり、今なお当社祭礼の渡御式には、栗栖庄座中より雅児が参列する。

渡御式は平安時代後期の保延年間(1135年-1141年)に徳大寺参拝より始まり、藤堂佐渡守が天正年間(1573年-1593年)に再興した。

また現在の渡御用神具は藩主徳川氏の寄附によるなどの沿革があり、今に鎌垣庄10ヶ村の氏子住民が祭礼に参加する。

鎌垣庄共有山は当社祭礼並びに修繕料として戦国時代の弘治3年(1543年)に氏子中へ寄附されたもの。

神輿2基は駿州久能山より金銅葵紋付神酒瓶子2対及び長柄提子1基と共に寄進されたもので、延宝7年(1679年)5月の作である。

今の水引は江戸時代後期の天保年間(1830年-1844年)に藩主徳川治宝より寄進されたもので、葵紋は大和錦の華麗な物である。

粉河祭礼渡御式には旧藩時代、代官が派遣されて検分するほど格式があって、和歌祭の始まりもこの祭に起用したと『栗栖御記』にある。

名物の山車は明神への献燈と『紀伊名所図会』に記され、灯明台と伝えている、特殊な格恰であり全国でも当社のみと言われヒゲコ山車に分類されている。

大正元年(1912年)、旧長田村松井の丹生神社と、粉河町東毛の大神社を合祀、大正8年(1919年)、粉河町粉河天福神社を境内社として合併した。

近年には昭和7年(1932年)、昭和38年(1963年)、平成7年(1995年)に正遷宮を執り行い、現在のように整備された。

平成27年(2015年)4月ごろ、奈良・京都など世界遺産含む寺社に油のようなものがまかれていた被害が相次いだ事件で、当社の境内社である稲荷神社(粉河稲荷神社)が被害に遭ったと報道された。

【ご利益】
諸々の災いを祓い退け、一切のものを守り育てる女神。不老長寿、農業・養蚕の守り神。
粉河産土神社 - 770年創祀、紀州藩歴代藩主に崇敬された、江戸期の神輿が伝わる古社
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