・所在地:埼玉県行田市埼玉

・時 期:5世紀~7世紀
・時 代:古墳時代中期~後期
・形 状:古墳群
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
さきたまこふんぐん。県名発祥の地とされる「埼玉」の地にあり、5世紀末から7世紀にかけて成立したと思われる、前方後円墳8基と円墳1基の大型古墳が残る全国有数の大型古墳群。現在は国の史跡として整備がなされている。国の特別史跡に格上げする運動が行われている。

なお、かつては大型古墳の周りに陪臣の小型古墳があり、円墳35基、方墳1基からなっていた。しかし、昭和初期に周囲の沼地の干拓で取り壊されてしまっている。

『日本書紀』によると534年、安閑天皇より笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が武蔵国国造を任命され、埼玉郡笠原(現在の鴻巣市笠原)に拠点を持ったとされる。

何の基盤もない当地に突如として、畿内に匹敵する中型前方後円墳が現れたこと、稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣の銘に見える「ヲワケ」の父の名の「カサヒヨ」が「カサハラ」と読めることなどから考えれば、笠原を本拠とした武蔵国国造の墓ではないかという説がある。

この地に古墳のあることは、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』や『忍名所図会』(おしめいしょずえ)に記されている。また、付近に多くの古墳が存在したことは、「百塚」という字名からも知られる。

主な古墳としては、稲荷山古墳、丸墓山古墳、二子山古墳将軍山古墳、愛宕山古墳、奥の山古墳、鉄砲山古墳、中の山古墳など。

さきたま古墳公園として、日本の歴史公園100選の一つ。

【関連サイト】
埼玉古墳群 - Wikipedia

【関連記事】
人気の古墳トップ10 - トリップアドバイザーが15年6月に発表した旅行者の口コミによる
前玉神社 - 「埼玉」の語源、埼玉古墳群内の浅間塚に鎮座、出雲の神々を奉斎
埼玉古墳群(埼玉県・行田市) - 大型の9基の古墳が残る、全国有数の5-7世紀の古墳群