・所在地:埼玉県比企郡吉見町北吉見327

・時 期:6世紀~7世紀頃
・時 代:古墳時代後期
・形 状:横穴墓群
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
よしみひゃくあな/よしみひゃっけつ。古墳時代後期(6世紀-7世紀頃)の横穴墓群。国の史跡。2012年現在、有料で一般公開されている。

凝灰岩の岩山の斜面に多数の穴が空いている。穴の数は219個と言われ、このような遺跡としては日本一の規模。穴の入り口は直径1メートル程度だが、内部はもう少し広くなっていることが多い。

他の多くの古墳が土を盛った小山の中に一つだけ玄室が存在する構造であるのに対し、岩山の表面から数メートルの小穴(古墳の玄室に相当するもの)を多数掘って造られた集合墳墓である。

多くの穴に古墳と同様の台座状構造があり、ここに棺桶を安置したとされる。なお、台座は穴によっては複数存在しており、このような穴には家族単位で葬られたものと考えられている。

多くの穴の入口の周囲には段差状の構造があり、ここには緑泥片岩という緑色の石で作られた板状の蓋がはめ込まれていた。これは後から穴を容易に開閉可能とするものとされ、複数の台座状構造と合わせて同一の穴に追葬が行われたことを示すものと考えられている。

場所の位置によって穴の並びが整然、不規則と各箇所で差がある。不規則な箇所は比較的初期に、整然と並んでいる箇所は後期に造られたものと考えられている。

岩山の下方には、ヒカリゴケが自生している穴がある。「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」として国の天然記念物に指定されている。

発見当初(1887年(明治20年))から20世紀前半まで、住居的な色彩が強いとされ、一般日本人のものにしては小さい、ということで、コビトのような日本の先住民族、コロボックルの住居として造られ、その後一部が葬穴用に再利用された、との説があった。

当時も、今も、コロボックルの存在は確認できていない。

【関連サイト】
吉見百穴 - Wikipedia

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