“ただ”の伝説? ある皇女の数奇な一生、伊勢神宮の謎【目次】
伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の宇治橋
『倭姫命世記』(やまとひめのみことせいき)は、神護景雲2年(768年)、禰宜(ねぎ)五月麻呂(さつきまろ)の撰と伝えるが、建治・弘安(1275-1288年)の頃、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の神官の渡会行忠(わたらいゆきただ)の撰になったものという。大神宮神祇本紀。神道五部書の一つ。倭姫命世紀、ではない。

天地開闢から、伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に落ち着くまでの各地還幸、第21代雄略天皇の代の外宮遷座に至る詳細を記す書で、つまり元伊勢伝承、二人の皇女、特に書名にもなっている倭比売命(倭姫命、やまとひめのみこと)の事跡を事細かく記録している。

ただし、歴史学の分野では、「中世資料」というレッテルが張られ、史実とはほぼ認められておらず、伝説とされている。

しかし、『古事記』にも断片的ながらそれらしいことが記載され、『日本書紀』には複数の地名が表記されるなど、皇女による各地への還幸が何らかの形で実際にあったのは事実と思われる。

それを体系的に記しているのが、現状では『倭姫命世記』のみであり、それを無視することは、伊勢の神宮の成立や日本の古代史の解明の道をふさぎかねない。

当時存在した資料を基に、ある程度の編集を加えて成立したのが『倭姫命世記』だろう。『倭姫命世記』は、それほど長いものでも、決して難解なものでもなく、インターネット上で、原文に忠実な口語訳を読むことが可能である。「倭姫命世記 - 神話の森」。

ただ、それでも分かりづらいのは正直な所。現代の普通の日本人では敬遠されてしまいかねない。

普通に読めば、そこから見えるのは、ヤマトヒメの人としての温かさだったり、冷酷さだったり。確かに一部には“怪しい”個所もなくはない。しかし、それに勝るヤマトヒメの人となりの魅力。

これを、一律に“伝説”と片付けて省みないのは、あまりに惜しいし、伊勢神宮解明が遠のく。現代日本人の一つの常識となってもそれほど奇異なものではない、と思いつつ、ここに改めて超訳してみた。

『倭姫命世記』目次
( 1) 天地開闢、アマテラスとトヨウケビメ 葦原中国平定と天孫降臨
( 2) 山幸彦の君臨から、神武天皇の即位と東遷、橿原宮建立まで
( 3) 同殿共床との決別と、巡幸の始まり 皇女トヨスキイリビメ
( 4) トヨスキイリビメ「笠縫邑」から丹後へ 大和に戻り引退へ

( 5) ヤマトヒメ登場、大和国の宇多秋宮、宇陀の地で出会った童女
( 6) ヤマトヒメ、大和国から伊賀国へ巡幸、天皇の代替わり
( 7) ヤマトヒメ、伊賀国から近江国、美濃国を経て、尾張国へ
( 8) ヤマトヒメ伊勢国入り 大若子命と出会い、「阿野国」まで

( 9) ヤマトヒメの苦難、阿佐加の山の神・伊波比戸への対応
(10) ヤマトヒメ「飯野高宮」から櫛田川近辺、明和町あたりへ
(11) ヤマトヒメ「佐々牟江宮」へ、アマテラスの神託を聞く
(12) ヤマトヒメ「伊蘓宮」へ、大若子命の派遣と、狭田社や坂田社

(13) ヤマトヒメ、牟弥乃神社、御船神社、多岐原神社へ
(14) ヤマトヒメ「大河之滝原之国」へ、久求都彦と出会う
(15) 大若子命が帰還、ヤマトヒメ「佳き宮の場所」への端緒開く
(16) ヤマトヒメ、二見に上陸 佐見都日女の無言の抵抗に遭う

(17) ヤマトヒメ、荒崎姫に恐縮して神前神社を定め、老女と遭遇
(18) ヤマトヒメ、二見から帰還して順調 「矢田宮」「家田々上宮」
(19) ヤマトヒメ、サルタヒコの末裔・大田命に会い、約束の地へ
(20) ヤマトヒメ、今でいう伊勢神宮の内宮を着々と整備する

(21) ヤマトヒメ、再びアマテラスの神託を受け、天皇に報告・承認
(22) ヤマトヒメの志摩巡幸、アマテラスの「食」の解決こそが命題?
(23) ヤマトヒメと「鶴の穂落とし」、伊雑宮、朝熊神社とオオトシノカミ
(24) ヤマトヒメと第二の「鶴の穂落とし」、八握穂社の造営

(25) ヤマトヒメついに引退表明、ヤマトタケルに草薙の剣を授ける
(26) ヤマトヒメ夢でアマテラスの神託、外宮トヨウケビメノカミを遷座
(27) アマテラスの神託が続く、外宮先祭や神功式年遷宮とリンク
(28) 後事を託してヤマトヒメ薨去、波乱万丈の皇女の物語、終焉

【関連記事】
伊勢の神宮とは? - 「通称:伊勢神宮」正宮・外宮・摂末社・所管社全125社の一覧
伊勢参宮 - 二見興玉神社→外宮→内宮と猿田彦神社の御朱印、参拝順路、アクセス、所要時間
元伊勢とは? - 伊勢神宮の元宮、『倭姫命世記』に記載された二人の皇女ゆかりの地
猿田彦が多すぎる - 死地に伊勢神宮創建? 伊勢とサルタヒコの奇妙な、不可分な関係

サルタヒコ殺人事件 - 伊勢神宮の創建に関連? 国譲りに匹敵する大和政権のトラウマか?
なぜ歴代天皇は伊勢神宮を参拝しなかったのか? 明治天皇から解禁となったのはなぜ?
伊勢志摩サミット、開催の決め手は伊勢神宮 - 神話が今に息づく伊勢志摩の繁栄を祈念
「昇龍道」 - 広域観光周遊ルート形成計画(白川郷、金沢、飛騨高山、伊勢志摩など)