日本初の社、スサノヲのダジャレと和歌の地 諏訪大社も勧請して神事伝わる
[住所]島根県雲南市大東町須賀260
[電話]0854-43-2906

須我神社(すがじんじゃ)は、島根県雲南市にある神社。近代社格は県社。出雲國神仏霊場第十六番。参拝すれば、御朱印を頂ける。

須佐之男命と妻の稲田比売命、両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)を主祭神とし、武御名方命を配祀する。

須佐之男命が八俣遠呂智退治の後に建てた宮殿が当社になったものと伝えられ、「日本初之宮(にほんはつのみや)」とも呼ばれる。また、八重垣神社の元宮の可能性がある。

『古事記』にある、須佐之男命による日本初のオヤジギャク「須賀」が「須我」となった。また、同時に須佐之男命は日本初の和歌を詠んだため、「和歌発祥の地」ともなっている。

ちなみに、当地到着の途中、休息し、二人が婚儀の相談をした地と伝わるのが、市内木次町東日登の大森神社で、二人が産屋としたのが木次町上熊谷の河邊神社である。

奈良時代の天平5年(733年)、『出雲国風土記』大原郡条に記載されている「須我社」に比定される。風土記の時点では神祇官の管轄ではない。

平安時代の延長5年(927年)、『延喜式神名帳』には記載されていない。いわゆる式外社である。

背後にある八雲山には、夫婦岩と呼ばれる巨石と小祠があり、当社の奥宮となっている。この巨石は磐座であり、元は須賀の地の総氏神として信仰されていたもの。

天文年間(1532年-1554年)、当地に地頭として信濃国諏訪から中沢豊前守が赴任し、信仰していた諏訪大社の武御名方命を勧請して須我神社に合祀した。

以降長らくの間「諏訪大明神」と称され、一帯の地名も「諏訪村」とされていたが、明治22年(1889年)に地名・社名ともに須我になった。明治25年(1892年)に県社に列した。

9月28日が例大祭。その前夜祭の後に、神楽殿において宮司、神職、伶人(雅楽を演奏する者)たちによって、鹿食神事が執り行われる。周囲の灯火が消され、殿内のわずかな明かりの中で祭事が進行する。

神饌としてかつては鹿の頭が供えられていたが、現在では茄子の実を輪切りにしたものを鹿の頭に見立てて供えられる。

国家安泰、五穀豊穣を祈る神事。諏訪大社の分霊が合祀されたことによって始められたと考えられる。江戸時代には鹿食免も出されていたという。

6月30日には、茅之輪神事(ちのわしんじ)が行われる。なお、当社は株式会社吉田ふるさと村が企画する「やまたのおろち伝承地巡行」の第八番である。

【ご利益】
良縁成就、夫婦円満、子授・安産、除災招福、諸願成就(出雲國神仏霊場
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須我神社 島根県雲南市大東町須賀の御朱印