和歌山県有田川町、磐座映える白山の麓に鎮座する“水銀”の神
[住所]和歌山県有田郡有田川町出335
[電話]0737-52-2317

田殿丹生神社(たどのにゅうじんじゃ)は、和歌山県有田郡有田川町にある神社。御祭神は天照大神(アマテラス)の妹神である丹生都比売命(丹生大明神、にゅうつひめのみこと=稚日女尊)と丹生大明神の子神である大名草彦命(高野大明神、おおなぐさひこのみこと)

『丹生大明神告門』では、丹生都比売命の巡歴を記し、「安梨締郡夏瀬の丹生に忌杖刺し給ひ」と明記している。「夏瀬の丹生」とは、当社の社頭を指し、「忌杖刺し給ひ」とは、神地の四至に杖を刺して標識とし、ここを中心としてその地方を開拓したたという意味。

丹生都比売命は、この神地、夏瀬の森へ神幸し、ここを中心として農業を創始、また、農業と共に水銀の開発にも尽力し、当地の水銀文化の基礎を築いた。奈良、平安の両朝には、その産出は絶頂に達し、これを塗料や染料、薬用に用いたほか、黄金の精練や鍍金も行った。

遷行後もその徳を慕い、祀り始めたのが当社の起源。その後、特に神功皇后やその子である第十五代応神天皇は深く当社を尊崇し、この時代に当社社殿が整備されたと言われている。その頃の夏瀬の森は、今よりはるか南の方にも拡がった広大な森で、社殿はこの森の中にあり、有田川もはるか南の方を流れていたが、平安朝の頃、数回の大洪水のために森の大部分が流失した。

現在の森はその北部の一角を残したものであり、社殿もこの頃、白山の麓にうつされ、現在に至っている。境内に奉安している御神木は、その頃の大洪水で土中深く埋もれた楠であり、河川工事の際現われた由緒深いもの。また、境内社の夏瀬神社の楠の巨木(町指定文化財)は、足利義満が金閣寺を建立する際に、天井の一枚板に使うために切り倒した株から生えた、ひこばえだと言われている。

うっそうとした鎮守の杜は、前を流れる清き有田川、後ろに控える神奈備の円錐状の白山、その白山の頂上より少し下には巨大な磐座が覗き、古来よりの聖地と知れる。鳥羽天皇の御代、真言の僧、玄蔵上人が神社の東の神谷に七堂伽藍21坊を建て、神谷山最勝寺を開いた。

これは、弘法大師が天野の丹生都比売神社を氏神として、高野山の金剛峯寺を開いたのに倣ったもので、両部神道によって奉仕され、その後一時衰えかけたのを明恵上人によって再興せられたが、豊臣秀吉の時代、遂に最勝寺は破却せられ、それ以後は、再び唯一神道によって奉仕されている。

以前、丹生都比売命を田殿丹生神社にお祀りし、大名草彦命(高野大明神)を約2キロ下流の高野社(井口)へ遷して祀っていた時期があったために、当社を上の宮、高野社を下の宮と言った。現在は、両神とも当社本殿に祀られており、下の宮は跡地のみ残されている。

毎年秋の例祭(10月11日)には、上の宮と下の宮跡(御旅所)との間の御渡りの祭祀が行なわれ、丹生都比売命は開拓の大業と御徳を崇め奉られ、産業発展(農業、工業、商業等)の神、開運の神、縁結の神として、深く信仰されている。

境外社に、元伊勢伝承が残る国主神社、吉備名方濱神社などがあったが、現在は当社地に遷座して合祀しているようだ。

【ご利益】
産業発展、商売繁盛、開運、縁結び
田殿丹生神社 - 和歌山県有田川町、磐座映える白山の麓に鎮座する“水銀”の神
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