三重県松阪市、伊勢神宮に代々奉仕してきた元伊勢「飯野高宮」
神戸神館神明社
[住所]三重県松阪市下村町1791
[電話]-

神戸神館神明社(かんべこうたちしんめいしゃ)は、三重県・松阪市にある神社。古くは「神舘社」と称していた。

『延喜式神名帳』にある「意悲神社(おひじんじゃ、伊勢国・飯高郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

同県桑名市に似た名前の神社として神館神社(時に当社と同じ神戸神館神社とも呼ばれる)があるが、元伊勢伝承があるという共通点はあるものの、別の神社。

式内社名である「意悲神社」とも称していたのを、明治維新に際し、式内社「意悲神社」が同市内の御城八幡(現 松阪神社)に比定されたため、「神館神明社」を正式名称とするように定められたという(『神社明細書』(昭和27年))。

なお、『勢陽俚諺』によると「神舘」は「広達(こうたつ)」とも書いたという。

御祭神は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の御霊である天照皇大神宮御霊豊受大神宮(外宮)の御霊である豊受大神宮御霊御杖代大倭姫命、乙加豆知命(おとかづちのみこと、飯高の県造の祖)。

明治39年(1906年)11月10日に正勝吾勝勝速日天忍穗耳命大山祇神木花開耶姫命の三柱を合祀。

当地は『延喜式』巻4「伊勢太神宮式」神田条に「飯高郡二町」、同封戸条に「飯高郡卅六戸」とある、飯高神戸の設定された地。

その起源として『皇太神宮儀式帳』に第11代垂仁天皇の御世、天照大神を奉じた倭姫命が当地に来て、飯高の県造(あがたのみやつこ)であった乙加豆知から神田と神戸を進呈されて飯野高宮を造営したとあること。

また、『倭姫命世記』でも同様に、垂仁天皇22年条に倭姫命が飯野高宮(飯野高丘宮とも)で4年間大神を奉じた際に、飯高の県造の祖、乙加豆知命から神田と神戸を進呈されたとある。

つまり、元伊勢「飯野高宮(高丘宮、飯野ノ高宮などとも)」の伝承地。内宮の元宮の一つの可能性がある。

以来、伊勢神宮に供祭料を貢納して来たが、明治39年の『神社明細帳』によれば、それら供祭料を収納するために神館を建て、神戸司を設置して神戸内の政事を管掌させるとともに、神明社を奉斎したのが起源で、旧神戸の村民によって造替を重ねて来たという。

昭和27年の『神社明細書』によれば、弘和2年(1382年)に北畠顕泰から高4石の神領が寄進され、これは江戸時代にも紀伊藩によって踏襲されたが、明治維新で廃せられたという。

なお、境内の池には藺が生育し、江戸時代まではこれを採って筵を作り、毎年伊勢神宮に奉納していたという。

なお、元伊勢「飯野高宮」の候補地は他に、すべて市内で、飯野高宮神山神社牛庭神社久尓都神社(現在、加世智神社に合祀されている)、滝野神明社(現在、水屋神社に合祀されている)、花岡神社(飯高町宮前)がある。

【ご利益】
開運、厄除け、五穀豊穣、財運、当地開拓の神
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