元伊勢、賊に襲われたヤマトヒメが男装するなど豊富な伝承を残す
[住所]奈良県宇陀郡御杖村神末1020
[電話]0745-95-2001 - 御杖村役場

御杖神社(みつえじんじゃ)は、奈良県宇陀郡御杖村にある神社。

『延喜式神名帳』にある「御杖神社(大和国・宇陀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

『日本書紀』に「菟田筱幡」、『皇太神宮儀式帳』に「佐々波多宮」、『倭姫命世記』に「佐佐波多宮」とある候補地の一つで、元伊勢の一つ。

御祭神は久那斗神八衢比古神、八衢比女神。いずれも伊邪那岐神の禊から生まれた神で、道、あるいは分かれ道、道祖神的な要素を持つ神々。

第11代垂仁天皇の勅命により、天照大神の御杖代(大御神を祀り、大御神の言葉を取り次ぐ斎宮)となった皇女倭姫命は、大和国笠縫邑より神慮に叶うべき新たな宮地を求めた。

その道中この地に行宮を造り、休座したと伝承される。当社の両側には、御神木の上津江杉が伸びており、樹齢600年、室町三代将軍足利義満の御世のものと伝えられている。

「佐佐波多宮」の候補地は他にいくつかあるが、当社もその一つであり、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の元宮の可能性がある。

また、式内社「御杖神社」の論社は他に、篠畑神社(宇陀市)がある。篠畑神社も元伊勢「佐佐波多宮」の候補地の一つ。元伊勢「佐佐波多宮」は、葛神社(宇陀市)も候補。

当社の場合、北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」にあたる倶留尊山、その登り口に近いという特徴がある。

特筆すべきは、当社には倭姫命に関わるものが多く言い伝え残されていること。

・紅石…大字神末小屋神社の紅石。倭姫命が賊に追われた時、紅・白粉を捨てたので、石が紅に染った。また、倭姫命が目くらましのため髪を切り落とし、男装したとも。

・月見岩(観月岩)…敷津七不思議の一つ。倭姫命が、この岩に登って仲秋の名月を観賞した。

・姫石明神…七不思議の一つ。伊勢本街道に沿った岩阪峠の山頂の南方の下にある岩磐にあいた女陰形の穴。倭姫命が婦人病の平癒を祈ったことから姫石と言われるようになった。

・腰かけ石…敷津の伊勢街道沿いにある、高さ30センチ、幅80センチ、広さ1メートル余の石で、倭姫命が腰をかけた。

・宮熊田九日田…敷津にあって倭姫命の遺跡と伝えられる。

・手洗井…敷津の名所の一つ。倭姫命が手洗の水を汲んだ井戸。

・駒つなぎの杉…倭姫命が天照大神を奉じ笠縫宮より伊勢の五十鈴川上に遷る時、この杉の木に駒を繋いで、天照大神の鎮座の地を探している間、馬が引っぱったので杉の幹が少しまがった。

・駒山…倭姫命が駒を入れたという厩の形をした礫石がある。

・菅野…大字菅野にある四柱神社の井戸は、倭姫命が手洗の水を汲んだ井戸と伝えられ、その時、口をすすがれて「すがすがしい野原だ」と言ったので、「菅野」の地名が付いた。

【ご利益】
開運、旅行・交通安全、婦人病平癒
御杖神社 - 元伊勢、賊に襲われたヤマトヒメが男装するなど豊富な伝承を残す
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