岡山の元伊勢「名方浜宮」、宇喜多秀家の戦勝祈願参拝を神事に伝える
[住所]岡山県岡山市北区番町2-11-20
[電話]086-222-5018

伊勢神社(いせじんじゃ)は、岡山県岡山市にある神社。通称は伊勢宮(いせのみや)。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 備前国 御野郡「伊勢神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格は県社

御祭神は天照皇大神豊受大神。現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の御祭神。

栲幡千千姫命(天照大神の孫、つまり天孫邇邇芸命の母)を配祀する。三人の女神であり、男神はなし。

第10代崇神天皇の御代、皇女豊鋤入姫命が創建。『倭姫命世記』にある「名方浜宮」の候補地の一つであり、元伊勢として二千有余年の歴史を持つ。

平安時代には式内社となり、以後繁栄し、室町時代の頃までは備前岡山の氏神として崇敬篤く、境内地も現在の弘西学区全域に及んでいた。

その後、他の神社も創建され、人々も移住し、城下町が形成され、現在の氏子地域が出来上った。

安土桃山時代以後は、宇喜多、池田両藩主の崇敬殊に篤く、池田光政公以後明治維新まで備前藩寺社領としては最高の300石を寄進した。

当社神官が備前国神職総頭の職を拝命、備前藩または池田家の祭事一切が当社神官の手によって執り行われ、現在も続いている備前の国で最も由緒のある神社。

また、当社には、300年前から「御神事」という祭事が執り行われている。

この御神事は、文禄元年(1592年)、宇喜多秀家が豊臣秀吉の命を受け、「征韓の役」の出陣に先立ち、当社に戦勝祈願に詣でた形を後世神事として祭儀の中に取り入れて行われたのが起源。

その際、具足甲胄に身を固め、藩主以下総勢が行列を整え、藩旗、弓、槍、鉄砲などを持ったという。

明治初年までは、古式にのっとり、神馬、弓、槍、具足甲胄を身につけ執り行われていた。

当社の氏子は、武士と町人が半々であったため、御神事は主に商家である小畑町、上出石町、中出石町、下出石町(下出石町は現在岡山神社の氏子である)の四町内が順番に奉仕していた(岡山県神社庁)。

なお、式内社「伊勢神社」については、同市内の内宮も論社であり、内宮も「名方浜宮」伝承地を主張している。

なお、元伊勢「名方浜宮」の伝承地は内宮の他に、岡山県に穴門山神社(倉敷市真備町妹)、穴門山神社(高梁市川上町高山市)、神明神社(総社市福井字神明)、広島県に今伊勢内宮外宮(福山市神村町)、和歌山県に伊勢部柿本神社(海南市日方)、国主神社(現在田殿丹生神社に合祀、有田郡有田川町長田)がある。

【ご利益】
必勝、勝負運、開運、五穀豊穣、子宝
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