福知山市大江町の元伊勢三社の一社で、伊勢神宮外宮の元宮の伝承
[住所]京都府福知山市大江町天田内字東平178-2
[電話]0773-56-1560

豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)は、京都府福知山市にある神社。近代社格は府社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『止由気宮儀式帳』にある「比治真奈井」、『倭姫命世記』にある「与佐之小見比治之魚井原(与謝郡比冶山頂麻奈井原)」に比定される、候補地の一つ。

つまり伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の起源。元伊勢の一つであり、外宮の元宮、元伊勢外宮、元伊勢豊受大神宮とも。

福知山市大江町には当社を含め、元伊勢に関わる三つの神社があり、皇大神宮(内宮)の元宮とされる町内内宮の皇大神社と、その奥宮とされる佛性寺の天岩戸神社とともに、福知山市大江町の元伊勢三社と呼ばれる。

主祭神は外宮同様、豊受姫命、相殿神が日子番能邇邇芸尊天児屋根命天太玉命

『止由気宮儀式帳』に、第21代雄略天皇が天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神(みけつかみ)として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であるとある。

それに基づいて当社は雄略天皇22年に伊勢へ遷座したその故地であるという。

あるいは、もとの鎮座地は京丹後市峰山町の比沼麻奈為神社であるが、雄略天皇22年に伊勢へ遷座する途中で当社の地にしばらく鎮座し、その跡地に建立されたのが当社であるという説もある。

比沼麻奈為神社は式内社「比沼麻奈為神社」の論社で、他に、当社と藤社神社も式内論社。

なお「比治真奈井」は当社や比沼麻奈為神社の他に、京丹後市の奈具神社、宮津市の奈具神社真名井神社が候補地になっている。

近世以前の沿革は不明であるが、社蔵棟札によれば、江戸時代前期の明暦2年(1656年)、宮津藩主京極高国が将軍家綱の疱瘡平癒を祈願して社殿を造営した。

延宝5年(1677年)に同永井尚長が4石6斗4升2合の社領を寄せ、以後藩家は変わりながらも歴代藩主の社参や代参、寄進等の崇敬を受けたという。

境内摂社が、本殿周辺に四社鎮座する。四所別宮とも。多賀神社、土之神社、月読宮、風之宮であり、表記はわずかに異なるものの、外宮の別宮(多賀宮土宮月夜見宮風宮)と同じ構成になっている。

境内末社が、本殿を囲む形でコの字形に計37社配置している。当社には37軒の社家があり、37社の末社はそれぞれの社家が一社ずつ祀っていたという。

なお、当社近くには、外宮の近くを流れる川と同名の宮川がある。また、伊勢の地にもある猿田彦神社と同名の神社が、当社の北、二俣地区にも存在する。伊勢と猿田彦の関係は深い

【ご利益】
食の神様。五穀豊穣、財運
豊受大神社 京都府福知山市大江町
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豊受大神社の御朱印