鳥出神社の鯨船行事(とりでじんじゃのくじらぶねぎょうじ)
種別1:風俗慣習
種別2:祭礼(信仰)
公開日:毎年8月14日、15日
指定日:1997.12.15(平成9.12.15)
都道府県:三重県
所在地:鳥出神社(四日市市富田地区)

鳥出神社の鯨船行事は、三重県四日市市富田地区の北島組・中島組・南島組・古川町の四つの集団で行われ、それぞれ1隻ずつ計4隻の鯨船が曳き出される行事である。

鯨船のハタシ(羽刺)役の子どもや太鼓たたきの練習は、7月後半から始まり、組ごとに浜辺や公園、倉庫の前などで、古老が所作や太鼓のたたき方の指導をする。行事の1-2週間前には鯨船を格納庫から引き出し、屋形や幕、装飾部品などをつけ、張り子の鯨の修理をする。

鯨船は、全長約9メートル、最大幅約2.3メートル。車輪はコマと呼ばれ、前方に1輪、中央と後ろに一対ずつの計5輪つけられている。張り子の鯨は竹の骨組みで作られており、頭部には黒い布、胴部は細かい網状の布を張り、胸びれと背びれは楕円形に曲げた竹に黒い布を被せる。

行事は、8月14日に鎮火祭とチョウネリ(町練り)、15日にホンネリ(本練り)を行う。14日の鎮火祭は鳥出神社で行われ、組ごと役員・ハタシ・ロコギ(櫓漕ぎ)・太鼓たたき・鯨被りなどの鯨船行事の参加者が参拝し、道具や衣裳を清めてもらう。

宮本といわれる北島組が鎮火祭と神社への練り込みを最初に行い、中島組・南島組・古川町の順で行うことになっている。鎮火祭を終えて各組に戻ると、夕方まで町練りが行われる。

鯨船には、ハタシ(12歳の男児)2、3名、ハタシを支える胴持ちと足持ちが1名ずつ、ロコギ(6-12歳の男児)4-6名、太鼓たたき2名が乗り込む。鯨突きは鯨を発見するところから始まる。まず、鯨船の後部周辺のウタアゲ(唄上げ)という歌い手たちがヤクウタ(役唄)を歌う。

ハタシが鯨を発見して追いかける合図をすると鯨船は前方の鯨を追いかける。鯨をいったん追いつめるとハタシは船を進める方向を示す。鯨を再び追い始めると、銛を用意して方向を示す所作をする。追いつめられた鯨は、鯨船の前方至近距離で直立する。

このときハタシは鯨に銛を投げつける。鯨を仕留めると、唄上げが「宮の前で鯨を突いたえ……」という役唄を歌って鯨突き一本が終了する。

次の鯨突きをする場所まで移動の際、唄上げは流れ唄を歌う。鯨は基本的に1頭で数人の鯨被りが交代で被るが、親鯨と子鯨の2頭出す組もあり、その場合は子鯨の鯨被りは少年たちが務める。

町練りで最初に突く場所は組によって異なる。町練りでは、祝儀突きといって、鯨船行事に寄付金を出した家の前で鯨を突いたり、ヤクヅキ(役突き)といって、自治会長の家や、ハタシ・ロコギ等を出している家でも突く。

本来、祝儀突きは新築・結婚・出産等のめでたいことがあった家が頼んだものだった。今でも新築などの祝事があったときに「大きい鯨を一本突いた」という。家に不幸があった場合は、1年間は鯨突きを遠慮するのが通例で、鯨船行事にも参加しない。

15日は本練りで、各組とも前日にやり残した町練りを行い、午後の鳥出神社への練り込みを待つ。北島組から次々に鳥出神社の境内に練り込み演技を行う。練り込みの後、浜の組は浜辺に出て、多度大社と伊勢神宮に向かって鯨突きをする。

この行事は、北勢地方に集中的に分布する鯨船行事を代表するものであり、鯨突きが象徴する漁撈が漁村にもたらす豊かな生活を祈念する意識を背景に、風流行事の中に捕鯨習俗を取り入れて伝えているものである。

保護団体名:富田鯨船保存会連合会
重要無形民俗文化財「鳥出神社の鯨船行事」 - 鯨突きが象徴する豊かな生活を祈念
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