須成祭の車楽船行事と神葭流し(すなりまつりのだんじりぶねぎようじとみよしながし)
種別1:風俗慣習
種別2:祭礼(信仰)
公開日:毎年7月初旬-10月下旬(宵祭・朝祭は8月第1土日曜日)
指定日:2012.03.08(平成24.03.08)
都道府県:愛知県
所在地:海部郡蟹江町須成の冨吉建速神社と八剱社

須成祭は、愛知県海部郡蟹江町須成にある冨吉建速神社と八剱社の例祭である。疫病退散を祈願する天王信仰に由来する祭礼行事で、華やかな車楽船の出る行事と1年の穢れを植物の葭に託して川に流す神葭流しの2つの行事を中心に構成される。

この祭は、通称百日祭とも呼ばれるように、7月初旬から約3か月にわたって祭事が続き、祭りの中心となる8月初旬の宵祭と翌日の朝祭には船が蟹江川に出され、朝祭の翌日に神葭流しが行われる。

冨吉建速神社は、明治以前は冨吉天王と呼ばれた天王社で、須成を中心とする冨吉荘の総鎮守として信仰を集めてきた。

一方、八剱社は、古くは五社と呼ばれ、熱田神宮と縁の深い神社と伝えられている。両社はともに須成の鎮守として相殿で祀られ、両社を合わせて須成神社とも呼ばれている。

須成祭は、その起源は定かではないが、津島神社天王祭で流した葭を須成の若者が持ち帰ったことに始まるという伝承がある。

また、尾張藩が宝暦5年(1755年)に尾張地方の祭礼を記録した『尾陽村々祭礼集』には、「冨吉天王之祭、船祭一輌、打囃子試楽有、村下之橋より天王橋迄渡」とあり、現在と同様の祭りの形態がうかがわれ、『尾張名所図会』の付録として知られる『小治田之真清水』には須成祭の絵図が載せられている。

須成祭を構成する諸行事は、朝祭の期日を基準としてその前後に日取りが定められる。祭りの運営は、祭三役と呼ばれ、行事全体を取り仕切る祭総代2名と宿大将1名の年長者に、若衆と呼ばれる成人式を終えた未婚の男性たちが加わって行われる。

若衆には、指導役の桜花、桜次、車楽船の行事を仕切る車大将、船の屋根に乗る山乗、神葭を担当する葭刈などの各役がある。これらの諸役によって行事が7月初めから順次行われていく。

車楽船の出る船祭りは、船に乗る稚児を選ぶ「稚児定め」にはじまり、天候の無事を祈って三重県桑名市多度町の多度大社に参拝する「多度参り」、祭りの宿となる公民館に稚児と諸役が一同に会し、祭り開始の挨拶を行う「宿入り」、船に付ける飾り花を製作する「花つけ」、船を組み立てる「船がらみ」を経て、宵祭を迎える。

須成祭に出る車楽船は、2艘の船を平行に並べて板を渡し、その上に二階造の屋形と三層構造の屋台を据え置く形態をとる。宵祭に出る船は、数多くの提灯で飾られ、巻藁船と呼ばれる。屋根上の真柱には1年の月日の数をあらわす12個の提灯が縦一列に並び、その周囲には365個の提灯が半球状に取り付けられる。

翌日の朝祭は、再び飾橋から船に一行が乗り込み、天王橋に向けて出発する。装いを新たにした車楽船は、囃子を奏でながら水上を進む。天王橋に着くと、稚児を始め諸役が下船して神社に向かい、社殿で囃子を奉納する。

一方、神葭流しは、宵祭までに「葭刈準備」「葭刈」「葭揃え」が行われる。「葭刈準備」では、ちまき作りと葭を刈り取る用具の準備を行い、その翌日が「葭刈」となる。蟹江川下流の弥富市にある亀ヶ池に行き、ご神体となる神葭の材料を刈り取ってくる。

亀ヶ池までは、天王橋から川舟で下るが、その途中、若衆が橋の上や川岸にいる人たちにちまきを投げ与える。「葭揃え」では、刈ってきた葭を切り揃えて大きな葭の束を4本作り、神饌とともに社殿に供える。この葭束を「御神葭様」という。

夏の祭礼行事として、祇園祭とともに、疫病除けの牛頭天王の信仰に由来する天王社の祭りとして注目されるものである。天王信仰に因む行事が広くみられる愛知県下において、風流的に発達した車楽船の出る優雅な船祭りと、葭に対する古い信仰を伝える神葭流しの二つの要素を伝えている類例の少ない伝承例であり、二つの行事を中心に種々の儀礼や行事が長期にわたって執り行われていることも貴重である。

保護団体名:須成文化財保護委員会
重要無形民俗文化財「須成祭の車楽船行事と神葭流し」 - 疫病除けの牛頭天王の祭り
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