織田信長の子孫が続いた天童の地に、明治期に分祀された神社
[住所]山形県天童市天童字城山1043
[電話]023-653-0289

建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、山形県天童市にある神社。近代社格は県社。織田信長(織田信長公、特に当社では織田信長命)を御祭神とする建勲神社の一つ。天童藩主・織田氏の祖先として祀られる。

天童織田家は、織田信長の次男・信雄の子孫で、信雄の四男・信良を祖とする。子孫は上野国小幡藩から出羽国高畠藩と渡ったのち、天童に陣屋を移した。

当初は天童藩知藩事の織田信敏が東京の私邸内に「織田社」と称して祀っていたが、明治2年(1869年)11月8日に神祇官より「健織田社」(たけしおりたのやしろ)という神号が下賜された。

この健織田社を明治3年(1870年)9月13日に天童市の城山(現 舞鶴山)山頂へ分祀したのが、当社の起源である。

同年10月17日、健織田社は太政官の通知により「建勲社」へと改称し、太平洋戦争終結までこの名称は使われた。明治6年(1873年)5月22日、旧社格において県社に列した。

明治17年(1884年)に現在地に遷座した。これは当初建てられた舞鶴山山頂の社への道のりが急で転落事故が起きるなど不便があったためで、平坦な舞鶴山山腹が選ばれた。

これより先、明治13年(1880年)9月、東京の社は京都・船岡山に遷座している。これが今の建勲神社である。また、当社と同様、信長の後裔が藩主を務めた柏原藩、現在の兵庫県丹波市にも同名の神社がある。

【ご利益】
大願成就、開運、難局突破、産業指導の神、災難除けの神(参考
建勲神社(天童市) - 織田信長の子孫が続いた天童の地に、明治期に分祀された神社
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