出雲国二宮、出雲大社と並び称される三大社の一つ、「佐陀神能」も有名
[住所]島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
[電話]0852-82-0668

佐太神社(さだじんじゃ)は、島根県松江市にある神社。「佐陀神能」がユネスコの無形文化遺産、国の重要無形民俗文化財に指定されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「佐陁神社(出雲国・秋鹿郡)」に比定される式内社(小社)。出雲国二宮で、近代社格では国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。出雲國神仏霊場第四番。

御祭神は正殿に佐太御子大神、伊弉諾尊伊弉冉尊、速玉男命、事解男命。北殿に天照大神瓊々杵尊。南殿に素盞嗚尊、秘説四柱。

全部で12柱が祀られている。また、出雲国秋鹿郡の式内社「宇多紀神社」(下照姫命)を合祀している。

佐太御子大神は『出雲国風土記』に登場する佐太大神と考えられる。佐太大神は神魂命の子の枳佐加比売命を母とし、加賀の潜戸で生まれた。

その母を祀る式内社が加賀神社である。神名の「サダ」の意味には「狭田、すなわち狭く細長い水田」という説と「岬」という説とがある。

明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、平田篤胤の『古史伝』の説に従って御祭神を猿田彦命と明示するように指示された。

その際当社側はそれを拒んだとされているが、現在、当社は佐太御子大神が猿田彦大神と同一神としている。

『秋鹿郡佐田大社之記』によれば、第11代垂仁天皇54年の創建で、奈良時代初期の養老元年(717年)に再建されたとある。

『出雲国風土記』の記述から、もとは神名火山(現 朝日山)のふもとに鎮座していたと考えられている。『出雲国風土記』秋鹿郡条に「佐太御子社」と記載されている。

『出雲国風土記』に「大神」とあるのは、熊野大神所造天下大神野城大神と佐太大神の当社のみであり、出雲の四大大神の一つである。

中世に入ると「佐陀大明神」とか「佐陀大社」「佐陀三社大明神」などと呼ばれるようになった。出雲国三大社として、杵築大社(現:出雲大社)、熊野大社と並び称された。

康元元年(1256年)『社領注進状』(出雲大社所蔵)によれば、280丁と、杵築大社に匹敵するほどの社領を有していたという。

宝永3年(1706年)『佐陀大社勘文』によれば、島根郡と秋鹿郡に7000石の社領と224人の神人を有していたが、太閤検地によって大幅に減じられ、堀尾吉晴の時代になって200石まで回復したという。

江戸時代に入ると杵築大社とともに出雲国内の神社を管轄し、それらを支配する「触下制度」を確立。当社の管轄は島根郡、秋鹿郡、意宇郡の西半分と楯縫郡の神社。

建造物や工芸品など多数が国の重要文化財に指定されている。佐太大神の出生地である加賀の潜戸は有名な観光地で、4月から10月の間に、遊覧船が出ている。

境内には、出雲国秋鹿郡の式内社「日田神社」(稲田姫命)、論社「御井神社」(不詳。御井神か)、論社「垂水神社」(罔象女神)がある。

式内社「御井神社」の論社は他に、秋鹿神社に合祀されたものがある。「垂水神社」の論社は他に、國司神社に合祀されたものがある。

なお、出雲国には出雲郡にも式内社「御井神社」があり、出雲市斐川町直江に式内同名神社がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け、交通安全(公式HP
佐太神社 - 出雲国二宮、出雲大社と並び称される三大社の一つ、「佐陀神能」も有名
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佐太神社の御朱印