日本最大の大拝殿で知られる、式内社や駿河国総社を含む三神社
[住所]静岡県静岡市葵区宮ケ崎町
[電話]054-245-1820

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は、静岡県静岡市葵区、市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓にある、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三社の神社の総称。通称「おせんげんさま」。三社はいずれも独立の神社として祭祀が行われている。

参拝すれば、御朱印を頂ける。静岡浅間神社としてのものと、大歳御祖神社のものがある。富士山と、後述する豪壮な社殿をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。

神部神社は式内社「神部神社(駿河国・安倍郡)」、大歳御祖神社は同じく「大歳御祖神社(駿河国・安倍郡」に比定されている(いずれも小社)。神部神社は駿河国総社であり、三社合わせて近代社格では国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。

神部神社(かんべじんじゃ)の御祭神は駿河国開拓の祖神としての大己貴命。第10代崇神天皇の時代の鎮座と伝えられ、国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。

浅間神社(あさまじんじゃ)の御祭神は木之花咲耶姫命。全国にある浅間神社の一社。延喜元年(901年)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社たる神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。

大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の御祭神は大歳御祖命。オオトシノカミウカノミタマノカミの母神で、神大市比売命を指す。第15代応神天皇の御世の鎮座と伝えられ、元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神。古くは「奈古屋神社」とも。

三社は鎮座以来独立の神社として扱われ、江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕してきた。明治21年、三社別々に国幣小社に昇格。戦後は神社本庁の別表神社となった。現在は一つの法人格となっている。

賤機山は、静岡の地名発祥の地として知られ、古代より神聖な神奈備山として、この地方の人々の精神的支柱とされてきた。6世紀のこの地方の豪族の墳墓であるとされている賤機山古墳(国の史跡)も、当社の境内にある。

また、静岡市内には秦氏の氏寺である建穂寺、秦久能建立と伝えられる久能寺など当社の別当寺とされる寺院があり、その秦氏の祖神を賤機山に祀ったのが当社の発祥であるともいわれている。

当地に鎮座して以来、当社へは朝廷をはじめ、鎌倉将軍家、今川、武田、織田、豊臣、徳川など各氏の尊崇厚く、宝物の寄進、社領の安堵などの事績は枚挙にいとまがない。ことに徳川家康は、幼少の頃今川氏の人質として当社の北方約1キロのところにある臨済寺に預けられていた頃から、生涯に渡って当社を篤く崇敬した。

以来、神君家康公崇敬の神社として、歴代将軍の祈願所となり、神職社僧の装束類も幕府から下行されるようになる。例えば、江戸時代初期の駿府藩主・駿河大納言徳川忠長は、この賤機山で猿狩りを行い、当社の神の使の猿を狩ったことで、兄である将軍・徳川家光の逆鱗に触れたことが知られる。こうした経緯から、明治初年に至るまでの社領等の総石高は2313石にも及んだ。

社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の重要文化財に指定されている。この社殿群は文化元年(1804年)より60年の歳月と約10万両の巨費を投じて建造されたもので、信州諏訪の立川和四郎ほか門弟により彫刻された花鳥霊獣類はことに秀逸。

特に、重層な大拝殿は高さ25メートル。木造神社建築としては、出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を誇る。

境内社に、麓山神社(はやまじんじゃ)、八千戈神社(やちほこじんじゃ)、少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)、玉鉾神社(たまほこじんじゃ)がある。いずれも立派な神殿を構える。

全国東照宮連合会に加盟している。

【ご利益】
厄除け、八方除け(公式HP
静岡浅間神社 - 日本最大の大拝殿で知られる、式内社や駿河国総社を含む三神社
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