全国の綿津見神社の総本社、安曇氏発祥、金印発見の地に鎮座する古社
[住所]福岡県福岡市東区志賀島877
[電話]092-603-6501

志賀海神社(しかうみじんじゃ)は、福岡県福岡市にある神社。全国の綿津見神社、海神社の総本社を称する。古代氏族の阿曇氏(安曇氏)ゆかり地として知られる。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「志加海神社三座(筑前国・糟屋郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では官幣小社、現在は神社本庁の別表神社

志賀島の島名でもある「志賀」の語源について、『筑前国風土記』逸文では、神功皇后による新羅出征の際の伝承から当地を「近島(ちか)」と言い、のち「資珂島(しか)」と転訛したという。

社名「志賀海」は、現在「しかうみ」と呼称されるが、本来の呼称については「しかのわた」「しかのあま」「しかのうみ」「しかにいますわた」等の諸説がある。

御祭神は、左殿が仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、中殿が底津綿津見神 (そこつわたつみのかみ)、右殿が表津綿津見神 (うはつわたつみのかみ)。

左殿相殿神が神功皇后、中殿相殿神が玉依姫命、右殿相殿神が応神天皇

主祭神の三柱は「綿津見三神(わたつみさんしん)」と総称される。古事記において、イザナギが禊を行った際、住吉三神とともに生まれた神々で、綿津見神(ワタツミ)。

相殿神のトリオは八幡神、しかも玉依姫命が含まれる筥崎宮(福岡県福岡市)と同じパターンに類型される。

社伝では、神代に創祀され、古くは志賀島の北側において表津宮(うわつぐう)、仲津宮(なかつぐう)、沖津宮(おきつぐう)の三宮からなっていた。

阿曇磯良(あずみのいそら:阿曇氏祖)により、そのうち表津宮が志賀島南側に遷座して現境内となったという。

仲津宮、沖津宮は現在は摂社となっている。その阿曇磯良は、神功皇后の新羅出征において舵取りを務めたとも伝えられる。

古代の九州北部では、海人を司る阿曇氏(安曇氏)が海上を支配した。志賀島は海上交通の要衝で、その志賀島と海の中道を含めた一帯が阿曇氏の本拠地であったとされ、当社は阿曇氏の中心地だった。

現在も志賀島の全域は神域で、現在の神主家も阿曇氏の後裔。

なお阿曇氏の活動は日本全国に展開したといわれ、長野県安曇野市(綿津見三神の子穂高見命が御祭神の穂高神社がある)、石川県羽咋郡志賀町、滋賀県安曇川、愛知県渥美半島といった「しか」「あつみ」という地名は、その遺称地と伝えられる。

また志賀島は金印(漢委奴国王印)が出土したことで知られるが、阿曇氏ひいてはその氏神たる当社と奴国の関わりについて諸説ある。

記録上、古くは天平3年(731年)の「住吉大社司解」に記載が見える。また『新抄格勅符抄』によると、大同元年(806年)には「阿曇神」に神封(寄進された封戸)として8戸があったという。

国史によると、貞観元年(859年)に「志賀海神」の神階が従五位上に、元慶4年(880年)に「賀津万神」(仲津宮に比定)が従五位下に昇叙されている。

『小右記』に万寿3年(1026年)に当社社司が入宋し、翌年に帰国したという記録が見える。

鎌倉時代、元寇の際には志賀島は戦場となり、当社は『蒙古襲来絵詞』に「志賀島大明神」と記載されている。

応仁3年(1469年)には少弐頼忠が対馬東月寺の住持に志賀島宮司職が安堵され、その後は大内氏から庇護を受けた。また当社では、明に渡航する前に航海の無事が祈願されていた。

近世には、筑前国を治めた小早川氏・黒田氏の庇護を受けた。慶長5年(1600年)に入国した黒田長政により、神殿・拝殿・楼門等が造営されたという。また、文化14年(1817年)の社領は50石だった。

摂末社は現在、摂社5社と末社19社の計24社。『筑前国続風土記』によれば、古くは末社375社あったという。

戦国の乱世で損傷し、永享11年(1439年)の大内持世による再興時には120社余、その後江戸時代には5社ばかりとなっていた。

当社の例大祭は、国土祭(くにちさい)と称される。その前日には、隔年(西暦奇数年)に当社最大の祭・御神幸祭が執り行われる。

古くは旧暦9月8日(御神幸祭)、9月9日(国土祭)だったが、現在は体育の日とその前日(10月第2月曜とその前日)に行われる。

特殊神事として、歩射祭(ほしゃさい)がある。1月2日から15日まで行われる年頭行事のうち、1月15日近くの日曜に行われる。かつて1月15日に行われた。

「歩射」すなわち馬に乗らずに弓を射ることで、破魔・年占を行う。阿曇百足(ももたり)による土蜘蛛退治伝承に因む。

また「山ほめ祭」とも称される春4月15日の山誉種蒔漁猟祭(やまほめたねまきぎょりょうさい)と、秋11月15日の山誉漁猟祭がある。

かつては旧暦2月15日と11月15日に行われ、「狩漁の御祭」とも。神功皇后による三韓出兵の際、対馬豊浦に滞在中に志賀の海士がもてなしたという伝説にちなむ。

なお、神楽歌として君が代が歌われる。ただし、冒頭の部分は「きみがだいは~」となっており、それより先の歌詞もある。

鍍金鐘(ときんしょう)が国の重要文化財に指定されている。

「志賀島金印、鴻臚館、元寇防塁、福岡城址、大濠公園」(2007年)として、美しい日本の歴史的風土100選の一つにも選ばれている。

【ご利益】
海上安全、水難厄除け、除災招福、幼児無事成長、家内安全、病気平癒、旅行安全など(公式HP
志賀海神社 - 全国の綿津見神社の総本社、安曇氏発祥、金印発見の地に鎮座する古社
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志賀海神社の御朱印