二転三転した比定論争の妥協の中で創建された式内後継社
[住所]徳島県徳島市二軒屋町2-48
[電話]088-652-8892

忌部神社(いんべじんじゃ)は、徳島県徳島市二軒屋町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「忌部神社(阿波国・麻殖郡)」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)の後継社及び論社。近代社格では国幣中社、現在は神社本庁の別表神社

御祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)。阿波忌部氏の祖神で、『古語拾遺』によれば天照大神の岩戸隠れの際に天太玉命に率いられて、榖の木を植え、白和幣を作った神。

式内社「阿波国麻殖郡 忌部神社」は名神大社にも列していたが、中世以降、兵火などにより所在が不明となり、近世以降、複数の神社が式内社「忌部神社」を主張した。

そこで、明治4年(1871年)に暫時「所在地不明」のまま国幣中社に列格し、翌明治5年(1872年)に麻植郡山崎村(現 吉野川市山川町)の村社だった忌部神社を式内社「忌部神社」に決定した。

これに対して、美馬郡西端山(現 つるぎ町貞光)の五所神社が式内社「忌部神社」を主張し、明治7年(1874年)に改めて山川町の忌部神社を比定するという太政官布告が出されたものの、その後も論争が続く。

明治14年(1881年)に五所神社を式内社「忌部神社」に変更したが、今度は山川町の忌部神社が反発、結局太政官による妥協策として名東郡富田浦町(現 徳島市)に新たな社地を定めるという通達を出した。

明治18年(1885年)に眉山中腹の現在地を選定、そこに鎮座する郷社金刀比羅神社に仮遷座して五所神社を御所神社として境外摂社とし、社殿竣工により同25年(1892年)5月15日に現在地に遷座した。

社殿は昭和20年(1945年)の戦災でほとんど焼失、現在のものは昭和28年(1953年)に再建されたもの。今でも5月15日にはわしがえ神事が行われ、明治25年の遷座(創祀)を記念する。

戦後、山川町の忌部神社の近くに忌部氏の有力者を葬ったと考えられる円墳5基が見つかり、式内社「忌部神社」はやはり山川町の方だったとの意見が強まっている。

【ご利益】
祭祀をつかさどる神を祀っていることもあり、所願成就などか
忌部神社(徳島市) - 二転三転した比定論争の妥協の中で創建された式内後継社
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