オオビコとその子が合流した“会津”以来の鎮座となる陸奥国二宮
[住所]福島県大沼郡会津美里町字宮林甲4377
[電話]0242-54-3120

伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)は、福島県大沼郡会津美里町にある神社。『延喜式神名帳』にある「伊佐須美神社(陸奥国・会津郡)」に比定される式内社(名神大社)。

陸奥国二宮で、近代社格では国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。会津六詣出の一社で、会津総鎮守。参拝すれば、御朱印を頂ける。

「会津」という地名は、『古事記』にも記される、第10代崇神天皇の時に派遣された四道将軍のうちの二人、北陸道を進んだ大毘古命と東海道を進んだその子である建沼河別命が合流したことに因む。

この父子が会津の開拓神を祀ったのが当社の創祀。

御祭神は、伊弉諾尊伊弉冉尊、大毘古命(おおひこのみこと、大彦命)、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと、武渟川別)の四柱で、「伊佐須美大神」「伊佐須美大明神」と総称される。

社伝によると、大毘古命と建沼河別命の父子が会津で農耕技術・先進文化を伝えた後、国家鎮護のために福島県・新潟県境付近の天津嶽(御神楽岳)に国土開拓の祖神である伊弉諾尊・伊弉冉尊を奉斎した。

その後は博士山、明神ヶ岳を経て、第29代欽明天皇13年(552年)に高田南原(高天原)に遷座。そして欽明天皇21年(560年)に現在地の高田東原に遷座し、社殿を創建した。

その際、大宮司は上官の安部宿禰能基、中官は左官に赤吉宿禰公惟と右官に黒田宿禰道実の2人、さらに神主9人や検校ら多数の神官があり奉仕に携わったという。このうち黒田宿禰は建沼河別命の弟と伝える。

国史での初見は承和10年(843年)で、「伊佐酒美神」の神階が無位から従五位下に昇叙されたと見える。陸奥国会津郡及び耶麻郡においては唯一の名神大社。

会津郡の式内社は二社で、当社の他、蚕養国神社があるのみ。

また、『和名抄』に見える地名として当地は「会津郡屋代郷」に比定されるが、この「屋代(やしろ)」とは「社」すなわち伊佐須美神社に由来するとされる。

『朝野群載』では、康和5年(1103年)6月10日において、陸奥国の代表的な神社の一つと記述されている。

中世には陸奥国二宮の地位にあったとされる。社地としては、中世には蘆名氏から300貫文を、近世には会津藩主の松平氏から30石を受けた。会津大鎮守六社の一つとした、いわゆる会津六社の一社。

別当寺として暦応2年(1339年)の開基という清滝寺が存在したが、寛文7年(1667年)の神社改めで社地からは除かれている。

明治6年(1873年)6月13日に国幣中社に列した。また明治33年(1900年)から大正5年(1916年)には、会津藩主松平容保次男の松平健雄が宮司に就いた。

現在、「全国一の宮会」に加盟しており、新一の宮として岩代国一宮である。

平成20年(2008年)10月3日に火災により拝殿・授与所が焼失、同年10月29日にも火災で本殿・神楽殿・神饌所などが全焼した。

奥宮は会津美里町西本字明神岳に所在し、明神ヶ岳山頂付近の東側に石祠が鎮座する。

5月5日には砂山祭(すなやままつり)が行われる。会津地方は古くから塩を求めることが容易でなかったため、塩に不自由しないための祈願として塩を作る神事。

7月12日には御田植祭(おたうえまつり)が行われる。古くから「伊勢の朝田植、高田の昼田植、熱田の夕田植」と称され、「日本三大田植」の一つとされる。

なお、似たようなものに、日本三大御田植祭があるが、これは、香取神宮(千葉県香取市)、伊雑宮(三重県伊勢市)、住吉大社(大阪府大阪市)の御田植祭を指し、別のものと考えられる。

【ご利益】
産業文化、延寿縁結び、交通安全などの守護(会津六詣出
伊佐須美神社 - オオビコとその子が合流した“会津”以来の鎮座となる陸奥国二宮
【関連記事】
名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
一宮とは? - その地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと、根強い一宮めぐり人気
「全国一の宮会」加盟社とは? - 歴史的な一宮や、新一の宮などを含めた現代版一宮
近代社格の国幣中社とは? - 北海道から九州地方までまんべんなく分布、一宮も多い

神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
会津六社 - 会津大鎮守六社、会津藩初代藩主の保科正之が崇敬した会津地方の六つの神社
福島県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
福島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、福島県に鎮座している神社の一覧
伊佐須美神社の御朱印