神武天皇の兄たちを祀る、反逆に加担して一宮になり損ねた備前国二宮
[住所]岡山県岡山市東区西大寺一宮895
[電話]086-946-1453

安仁神社(あにじんじゃ)は、岡山県岡山市東区西大寺一宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「安仁神社(備前国・邑久郡)」に比定される式内社(名神大社)。備前国二宮で、近代社格では国幣中社、現在は神社本庁の別表神社

主祭神は五瀬命(いつせのみこと)。配神は稲氷命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)。いずれも初代神武天皇の兄にあたる神々。

古くは「兄神社」と称していたと伝えられたため、明治時代に定められた。古文献では当社の御祭神については様々な記述がある。

社名より平安時代の参議秋篠安仁(あきしののあに)や右近衛大将安倍朝臣安人(あべのあそんやすひと)、和珥氏の祖神であるとするもの、天照大神、五十狭芹彦命(吉備津彦命)、また、単に当地の地主神であるとする説もある。

諸説あって定められないことから、明治3年(1870年)の『神社明細帳』では「未詳」とされた。

現在の五瀬命は明治8年(1875年)に当社社務(神職)が作成した『安仁神社御傳記』に初めて現れるが、大正14年(1925年)に社務所が作成した『安仁神社誌』では、やはり定められないとして「安仁神」とした。

第二次世界大戦後の昭和27年(1952年)に作成された『神社明細帳』で再び五瀬命とされ、現在に至る。

創建の年代は不詳。社伝では、神武東遷の際に五瀬命が数年間この地に滞在し、神武天皇が即位の後に五瀬命ら皇兄たちをこの地に祀って「久方宮(ひさかたのみや)」と称したのが起源としている。

国史の初見は『続日本後紀』の承和8年(841年)2月8日条に「安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)」とあるもので、平安時代後期に編纂された『延喜式神名帳』では備前国では唯一の名神大社に列した。

もともとは当社が備前国一宮となるはずであったが、天慶2年(939年)における天慶の乱において、当社が藤原純友方に味方したため、一宮の地位を朝廷より剥奪されたとされる。

その後、備前国一宮の地位は天慶の乱勃発当時に朝廷に味方した備中国の一宮である吉備津神社より勧請して創建された岡山市北区一宮の吉備津彦神社に移ったと伝えられる。

もともと、社殿は背後の宮城山(みやしろやま)の山頂にあったが、康永3年(1344年)に火災で焼失した。その後、備前藩主池田綱政によって現在地である中腹に再建され、備前藩の祈願所となった。

明治4年(1871年)に国幣中社に列せられ、祭典への勅使参向、大正15年(1926年)には皇太子裕仁親王の行啓を仰ぎ、祈年祭・新嘗祭・例大祭には併せて幣帛供進使の参向があった。

第二次大戦後は神社本庁所管の神社として別表神社となった。

明治年間、大雨によって本殿後方の法面(のりめん)が崩れた際に、弥生時代中期の銅鐸が発見されている。後に京都大学の小林行雄教授によって学会に報告される。

現在、銅鐸は岡山県立博物館に寄託され、県の重要文化財に指定されている。

2月11日の寒中禊(かんちゅうみそぎ)が有名。近在の善男善女を対象とし、宮司を道彦として海中で禊を行う。

7月11日は夏祭りに相当する夏越(なごし)の祭りが斎行される。蘇民将来の故事に基づいて、境内に敷設された茅(ちがや)の輪を3回くぐり持ち帰ることで疫病退散、家内安全を願う。

【ご利益】
国家安泰、五穀豊穣、海上・交通安全、商売繁盛など(公式HP
安仁神社 - 神武天皇の兄たちを祀る、反逆に加担して一宮になり損ねた備前国二宮
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安仁神社の御朱印