「安芸国の三大神社」式内後継社として再興、神武東遷ゆかりの「埃宮」
[住所]広島県安芸郡府中町宮の町3
[電話]082-282-2427

多家神社(たけじんじゃ)は、広島県安芸郡府中町にある神社。『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 安芸国 安芸郡「多家神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格は県社

別名として、埃宮(えのみや)とも。社名の「多家」を現在は「たけ」と訓ませているが、本来は「おおいえ」と訓んでいたとも考えられ、またかつては「たが」などとも。

主祭神は、神武天皇、安芸津彦命(あきつひこのみこと。安芸国の開祖神、天湯津彦命と同神)。相殿神は、神功皇后応神天皇大己貴命

式内社「多家神社」の後継神社として、明治6年(1873年)に創祀された。

社伝では、「多家神社」は神武天皇が東遷の際に7年間滞在した阿岐国(安芸国)の多祁理宮(『古事記』)あるいは埃宮(『日本書紀』)の跡に創祀された。

中世には武士の抗争により社勢が衰退し、所在がわからなくなった。江戸時代になると、境内社に「たけい社」のあった松崎八幡宮と、安芸国総社である総社が式内社「多家神社」を主張し、論争となった。

結局、明治6年両社を廃止し、現在地の「誰曽廼森(たれそのもり)」に社殿を造営して、両社で祀られていた神を祀る「多家神社」が新たに創建された。

この際、両社に伝わる古記は、後の争いを避けるために全て焼却されたという。翌明治7年(1874年)に県社に列格した。

式内社「多家神社」は当時、極めて強盛だったようで、厳島神社速谷神社とともに、「安芸国三大神社」とされた。

なお、安芸国の国府の所在地は依然未確定。当社地付近の安芸郡府中町も有力だが、国分寺跡のある東広島市西条町とする説もある。同町には国府・国分八幡宮とされる石清水八幡宮がある。

現鎮座地の「誰曽廼森」という名称は、神武天皇が滞在時に「曽は誰そ」と訊ねたことによるものという。

また、当社の近く、松崎八幡跡地には、神武天皇が腰掛けて休んだという岩が「腰掛岩」として残されている。

ただし、神武東征における阿岐国多祁理の宮は、広島の安芸ではなく、土佐の安芸との説も、有力ではないが存在する。多気坂本神社に関連伝承が残る。

【ご利益】
厄除招福、家内安全、交通安全など(公式HP
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