神戸の海上守護「綿津見神社」オオワタツミ、神功皇后ゆかりの創建由緒
[住所]兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1
[電話]078-707-0188

海神社(わたつみじんじゃ)は、兵庫県神戸市垂水区宮本町にある神社。伊和神社粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「海神社三座(播磨国・明石郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では官幣中社、現在は神社本庁の別表神社

「綿津見神社」とも。「かいじんじゃ」とも読まれる。古くは、あまじんじゃ・たるみじんじゃ、日向大明神、衣財田大明神。「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づき明治4年(1871年)に採用したもの。

『播磨国官幣中社海神社史』では「古例の通りアマもしくはタルミと読むべきである」としている。「タルミ」の読みは、御祭神の本来の名称が垂水神であったことによるもの。

「アマ」は、当社が海直(あまのあたい)の氏神であったことによる。

海神三座として、上津綿津見神(うわつわたつみのかみ:海上=航海の神)、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ:海中=魚(漁業)の神)、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ:海底=海藻、塩の神)を主祭神とし、大日孁貴尊を配祀する。

三柱を総称して、いわゆる綿津見神、綿津見三神であるが、当社では、これらイザナギの禊から生まれた三柱とは別神ともされる場合がある、オオワタツミ(イザナギとイザナミの神産みの際に生まれた神)とも同神としている。

社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったので、皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりという。

『日本書紀』に記される廣田神社生田神社長田神社住吉大社の創建の記述とほぼ同様であるが、『日本書紀』の当該箇所に当社に関する記述はない。

文献に現れる最も古い記述は、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に神封戸10戸を寄進するという記述。

『延喜式』巻3「臨時祭」八十嶋神祭(八十島祭)の条に「海神二座」が記載されている。他の神が摂津国に所在しており、当社とは違い、二座ではあるが、可能性としては当社が一番高いと思われる。

鎮座地は海上交通の要地であることから、古くから海上鎮護の神として崇敬を受けた。東播磨地域では、稲爪神社岩屋神社とともに古大社として知られた。

中世以降、戦乱等のために社勢が衰えるが、天正11年(1587年)に豊臣秀吉が祈祷料として垂水郷山内の山林を寄進、江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬し、毎年2月に参拝するのを通例としていた。

江戸時代の初頭より「日向大明神」と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に国幣中社に列格した際に「海神社」に復称。明治30年(1897年)に官幣中社に昇格した。

毎年1月10日の前後の3日間、えびす祭りが行われる。西宮神社(西宮市)と同じく、海の神=えびすに基づく。また、10月の10-12日に行われる秋祭りで、最終日の12日の神幸祭、海上安全渡御祭でも有名。

なお、当社は兵庫県の南端に位置するが、そのほとんど真北、豊岡市の日本海に近い円山川河口近くに、当社と同名かつ、やはり式内名神大社である海神社が鎮座している。

その近くには、豊岡市の海神社とゆかりの深い絹巻神社もある。

【ご利益】
交通安全、水産業・農業などの守護神、開運厄除(公式HP
海神社 - 神戸の海上守護「綿津見神社」オオワタツミ、神功皇后ゆかりの創建由緒
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海神社の御朱印