北伊勢大神宮、アマテラスの子を祀る「かけねば片参り」とされる古社
[住所]三重県桑名市多度町多度1681
[電話]0594-48-2037

多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町にある神社。三重県では伊勢の神宮(伊勢神宮)、二見興玉神社椿大神社に次いで四番目に参拝者数の多い神社。

『延喜式神名帳』にある「多度神社(伊勢国・桑名郡)」に比定される式内社(名神大社)で、伊勢国二宮。近代社格では国幣大社、現在は神社本庁の別表神社

天津彦根命天照大神の第三子)を主祭神とする。相殿神が面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)。天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神。

天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから伊勢の神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。

また俗に、北伊勢大神宮、多度大神宮などとも云われた。境内には天津彦根命の子である天目一箇命(あめのまひとつのみこと)を祀る別宮・一目連神社があり、本宮・多度神社とともに「多度両宮」と称される。

本宮である多度神社の他、次の別宮・摂社・末社を合わせて多度大社と呼ぶ。別宮が一目連神社(天目一箇命)。摂社に美御前社、新宮社、一挙社。末社に神明社、皇子社、雨宮八幡社、藤波社、鉾立社、招魂社。

社伝では、第21代雄略天皇の御代の創建と伝える。古代には、社殿背後の多度山を神体山としていた。

奈良時代の天平宝字7年(763年)、僧・万願によって神宮寺が創建され、平安時代の貞観3年(863年)、神階が正二位に累進。平安後期には伊勢平氏により崇敬され、軍神としても信仰された。

中世には国司・北畠氏が保護していたが、元亀2年(1571年)、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失。

慶長10年(1605年)、桑名藩主・本多忠勝により再建された。明治6年(1873年)に県社に列格し、大正4年(1915年)に国幣大社に昇格した。

「白馬伝説」とともに、毎年5月4日、5日に行われる上げ馬神事(あげうましんじ)が有名。周辺六地区(多度・小山・戸津・北猪飼・猪飼・力尾)から選ばれた若者が騎手となる。

4日は陣笠裃姿、5日は花笠武者姿で、境内の急坂・2メートルほどの絶壁を人馬とともに駆け上り、上がりきった人馬の数や順番によって、その年の豊凶を占う。

南北朝時代から行われていたのは確実。南にあるいなべ市の猪名部神社大社祭の上げ馬神事(こちらは4月第1週の週末に挙行。歴史は多度大社よりも160年ほど遡る)との関連が指摘されている。

8月11日、12日にはちょうちん祭があり、11月23日が流鏑馬祭。参道に設けられた馬場(コース)に三か所の的を設置し、騎手が順次射落として行く。

参拝すれば、御朱印を頂ける。「白馬伝説」を象った御朱印帳がある。

【ご利益】
安産、厄除け、八方除災、交通安全、家内安全、商売繁盛など(公式HP
多度大社 - 北伊勢大神宮、アマテラスの子を祀る「かけねば片参り」とされる古社
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『週刊 日本の神社 2014年 12/30号 [分冊百科]』 - 多度大社と敢國神社 三重県
三重県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
多度大社の御朱印