多神社、古事記発祥の地とも言うべき、神武皇子カムヤイミミを祀る
[住所]奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内569
[電話]0744-33-2155

多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社。一般には多神社(おおじんじゃ)と呼ばれ、多社、多坐神社、太社、意富社とも書かれる。

『延喜式神名帳』にある「多坐弥志理都比古神社二座(大和国・十市郡)」に比定される式内社(名神大社・月次相嘗新嘗)。近代社格では県社

神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「太社二座。或作多社」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。

御祭神は第一社が神倭磐余彦尊、第二社が神八井耳命、第三社が神沼河耳命、第四社が姫御神(玉依姫命)。このほか、『古事記』を編纂した多氏の太安万侶も祀られている。

当地は多氏の拠点であり、多氏の祖神であるカムヤイミミ(第二社)を祀ったもの。

社名の「みしりつひこ」は、古事記にも記載されている、兄カムヤイミミが弟カムヌナカワミミに皇位を譲った、「身を退いた」という意味で、「ミシリツヒコ」はカムヤイミミを指す。

第2代綏靖天皇2年、神八井耳命は春日県(後の十市県)に邸宅を造り、そこに神籬磐境を立てて自ら神祇を司り、春日県主の遠祖・大日諸神を祭祀者として奉祀せしめた。

第10代崇神天皇7年、その神祠を改造し、天津日瓊玉命・天璽鏡劔神を祈賽したと伝える。

『正倉院文書』天平2年(730年)大和国正税帳に「太神戸稲壱萬伍伯伍拾弐束伍把 租壱伯参拾捌束肆把 合壱萬陸伯玖拾束玖把」と記されている。

太(多)神社の神戸が有する稲は、田租用の138束4把と合わせて1万690束9把という、他社と比べて大きな経済力を持っていたことがうかがえる。

『延喜式神名帳』に記載されたほか、永治元年(1141年)の『多神宮注進状草案』では神階正一位となっており、「正一位勲一等多大明神」の扁額が一ノ鳥居に掲げられた。

本殿は春日造で東西に一間社が4棟並んでおり、奈良県指定文化財。本殿の後方に「神武塚」と呼ばれる小丘があり、古代の祭祀場もしくは古墳と考えられている。

境内社として能野神社、住吉神社、春日神社、石上神社、竈神社、八幡神社があり、境外摂社として、いずれも式内社(小社)の小杜神社、皇子神命神社、姫皇子命神社、屋就神命神社がある。

また、境外末社には笠縫神社があり、『日本書紀』『倭姫命世記』にあるトヨスキイリビメが滞在したという「笠縫邑」に比定される場合もある、元伊勢の一つ。

なお、元伊勢「笠縫邑」の伝承地は他にも数多く、いずれも奈良県で、檜原神社大神神社摂社、桜井市三輪)、巻向坐若御魂神社(穴師坐兵主神社右殿、桜井市穴師)、志貴御県坐神社(桜井市金屋)、笠山荒神宮(桜井市笠)、天神社(桜井市小夫)、飛鳥坐神社(高市郡明日香村大字飛鳥)がある。

昭和47年(1972年)、当社裏の飛鳥川築堤工事中、境内より縄文時代から古墳時代の遺跡(多遺跡)が発見された。

祭礼は4月第3日曜日で、大連座(おおれんぞ:大和で祭りのことをレンゾと言う)、あるいは社名を取り「多れんぞ」と呼ばれる。旧暦使用の時代では春分の頃、祭礼を行っていたという。

三輪山―多神社―二上山はほぼ東西一直線で、当社は春・秋分の山頂からの日の出を拝する特別な位置にあることで知られる。

【ご利益】
謙譲の美徳、家内円満。古事記発祥の地
 多坐弥志理都比古神社 - 古事記発祥の地とも言うべき、神武皇子カムヤイミミを祀る
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