神宮125社、瀧原宮・所管社 江戸期には長寿祈願、五穀豊穣の神
[住所]三重県度会郡大紀町滝原872
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長由介神社(ながゆけじんじゃ)は、三重県度会郡大紀町滝原にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)別宮の瀧原宮の所管社の一社。瀧原宮所管社3社の第2位。伊勢神宮125社めぐりの中で滝原めぐりの一社。

瀧原宮の境内にある。同じく瀧原宮の境内にあるものに、内宮別宮の瀧原竝宮、瀧原宮所管社の若宮神社があり、川島神社が当社に同座する。

瀧原宮本宮の右側(東側)の一段高くなったところに鎮座する。瀧原宮境内の神社は、瀧原宮、瀧原竝宮、若宮神社、長由介神社、川島神社の順に参拝するのが習わし。

「ながゆけ」の音が「長生き」に通じるとして江戸時代には長寿を祈願する参拝者で賑った。

『神宮要綱』によれば、社殿は神明造の板葺であり、一重の玉垣と玉垣御門を有し、一基の神明鳥居が建つ。江戸時代には社殿しかなかったという。

御祭神は長由介神(ながゆけのかみ)。瀧原宮の御饌を司る神。

『大宮町史』では長由介が止由気(=豊受大神宮(外宮))に類似していることから豊受大神との説があるとしながらも祭神不明とし、補注で『お伊勢まいり』では「長由介神」としている、と解説している。

ここで長由介神は豊受大神の分霊である可能性を指摘している。

創建は不詳。

建久3年(1192年)の『皇太神宮年中行事』6月23日条に、祭使が並宮(瀧原竝宮)を参拝した後、河島、長由介、天若宮を参拝した旨が記述されているが、これは荒木田氏経が寛正5年(1464年)に加筆したもの。

寛文2年(1662年)より、若宮神社とともに江戸幕府による神宮式年遷宮の対象となる。また明治22年(1889年)以降は神宮司庁の造営となる。

当社は江戸時代まで若宮神社と同じく南向きに鎮座していたが、明治7年(1874年)に西向きに変更され、それまでなかった玉垣・玉垣御門を設置した。

またこの際、川島神社を当社に同座させることとした。

明治43年(1910年)5月に建て替えられている。

【ご利益】
長寿、五穀豊穣

瀧原宮所管社
序列1 若宮神社 (度会郡大紀町)
序列2 長由介神社 (度会郡大紀町)
序列3 川島神社 (度会郡大紀町)

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