社殿には本殿は設けない古例で知られる、武州六社の一つである古社
[住所]埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮
[電話]0495-77-4537

金鑚神社(かなさなじんじゃ、金鑽神社)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 児玉郡「金佐奈神社」に比定される式内社(名神大社)。

武蔵国五宮あるいは二宮ともされ、武州六社(武州六大明神、武蔵六所大明神)の一社。近代社格では官幣中社、現在は神社本庁の別表神社

埼玉県北西部に立つ標高343.4メートルの御獄山山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を御神体山として祀る。

山を御神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られる。

本殿を設けない古例を採る代表的な神社は他に、長野県の諏訪大社や奈良県の大神神社などがあるが、ごく少数。

社名「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られ、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある。

文献では当社について「金佐奈」と見えるが、「かなすな」がこの「かなさな」に転訛し、表記は「金鑽(貝の上の字が先)」のち「金鑚(貝の上の字が夫)」と変遷、近代以降は「かなさら」とも読むようになった。

これとは別に、砂鉄の採集地である「鉄穴(かんな)」を意味するとする説もある。

主祭神は天照大神素戔嗚尊で、配祀神は日本武尊

社伝『金鑚神社鎮座之由来記』では、日本武尊が東征の際に伊勢の神宮にて叔母の倭姫命から授けられた草薙剣と火鑽金(火打金)のうち、火鑽金を御室山に御霊代として納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが創建。

もともとの社殿は現社地の南約400メートルの地にある元森神社であるといい、古くはここから御室山が遥拝されたと考えられてる。

社伝によれば、延暦20年(801年)に坂上田村麻呂が東北への遠征前に当社に戦勝祈願に参詣したという。

南北朝時代の『神道集』では当社を「五宮金鑽大明神」として「武蔵六所大明神」の一社に挙げる。また『風土記稿』によると、永禄12年(1569年)銘の鰐口にはやはり五宮と刻銘があるという。

以上から当社は武蔵国において五宮に列したと考えられており、武蔵国総社の大國魂神社でも五宮として当社の分霊が祀られている。

一方で江戸時代中期の安永元年(1772年)編纂の『武乾記』では当社は二宮と記され、地名や神社公称も二宮としているが、当社を二宮とする中世史料はない。

神流川扇状地には九郷用水が開削され、その要所には当社の分社が祀られているが、これらの所在地は武蔵七党の一つ児玉党の勢力範囲と一致するといわれ、同党からの当社崇敬の様子が見える。

中世には同じく武蔵七党の一つである丹党の安保氏(阿保氏)から崇敬を受け、天文3年(1534年)には阿保全隆から多宝塔(重要文化財)が寄進された。

また、中世から近世の社務は別当寺の大光普照寺(金鑚寺)が担ったとされるほか、戦国時代には鉢形城主・北条氏邦や御嶽城主・長井政実から保護されたという。江戸時代には、幕府から朱印30石が寄進された。

境内では、参道脇に立つ多宝塔が国の重要文化財に指定されている。また、御獄山の中腹にある「御岳の鏡岩」は国の特別天然記念物に指定されている。

【ご利益】
武家の崇敬が厚く、創建もそもそもはヤマトタケルの東征。勝運、必勝などか
金鑚神社 - 社殿には本殿は設けない古例で知られる、武州六社の一つである古社
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