出雲の「大国」に対する「小国」遠江国の一宮、オオクニヌシを祀る
[住所]静岡県周智郡森町一宮3956-1
[電話]0538-89-7302

小國神社(おくにじんじゃ、おぐにじんじゃ、小国神社)は、静岡県周智郡森町一宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「小國神社(遠江国・周智郡)」に比定される式内社(小社)。歴史的な一宮としての遠江国一宮、近代社格では国幣小社。現在は神社本庁の別表神社「全国一の宮会」に加盟している。

本宮山の南側の山麓に鎮座する。「小国」という社名は、出雲の「大国」に対する遠江の美称であるとしている。

境内は秋には紅葉の名所として有名。正式な読みは「おくにじんじゃ」(國が濁らない)とされるが、地元住民など「おぐにじんじゃ」と、濁る人も多い。御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。

社伝によれば、欽明天皇16年(555年)2月18日、現在地より6キロほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まる。

この時に正一位の神階が授けられたと社伝にはあるが、国史での当社の初見である『続日本後紀』承和7年(840年)6月14日条では「遠江国周智郡の無位の小国天神(中略)に従五位下を授け奉る」と記されている。六国史終了時の神階は従四位上。

皇族や武将の信仰が篤く、遠江国一宮として崇敬を受けた。当社を一宮として記載する史料の最初は、1235年の「当国鎮守小国一宮」という記述である。江戸時代には「一宮神社」と称していた。

中世以降、朝廷の衰退により勅使が廃れたが、室町時代、戦国時代を通じて祭祀が途断えることはなかった。元亀3年(1572年)、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、当社神職は徳川家康に味方した。

天正3年(1575年)、徳川家康が社殿を再建し、江戸時代に入ってからも歴代の将軍が社殿の造営や営繕、社領の寄進を行っている。

明治5年(1873年)に県社に列し、翌明治6年(1874年)には国幣小社に昇格した。当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選補遺」として掲載されている。

境内に全國一宮等合殿社があり、全国一宮等の御祭神七十三柱を祀る。

かつては七十三柱を祀る境内社が境内各地にあったが、明治初年の本社焼失に伴い、明治15年(1883年)からは境内末社八王子社に合祀されていた。平成元年に独立の境内社として再建された。

国の重要無形民俗文化財に指定されている「遠江森町の舞楽」の中には当社の踊りとしての「小国神社の舞楽」が含まれている。

最近では近隣に「ことまち横丁」が誕生しており、人気となっている。なお、事任八幡宮(静岡県掛川市)も遠江国一宮を称す。

【ご利益】
国土経営、諸業繁栄、夫婦和合、縁結び、厄除けなど(公式HP
小國神社 - 出雲の「大国」に対する「小国」遠江国の一宮、オオクニヌシを祀る
【関連記事】
一宮とは? - その地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと、根強い一宮めぐり人気
歴史的な一宮とは? - 『中世諸国一宮制の基礎的研究』が底本、資料で確認できる一宮
「全国一の宮会」加盟社とは? - 歴史的な一宮や、新一の宮などを含めた現代版一宮
近代社格の国幣小社とは? - 官幣小社5社に比して10倍の実に50社、一宮もいくつか含む
神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた

日本神社100選とは? - 臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に掲載された神社
紅葉の名所で知られる神社 - 特に有名な、10月下旬から11月にかけて行って得する神社一覧
静岡県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
小國神社の御朱印