神宮125社、内宮・所管社 内宮御垣内に鎮座するサルタヒコは内宮の守護神
[住所]三重県伊勢市宇治館町1 内宮御正宮内
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興玉神(おきたまのかみ)は、三重県伊勢市宇治館町にある神社及び同社の御祭神。内宮の御垣内に鎮座する。社殿を持たない神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の所管社の一社。内宮所管社30社の第2位。伊勢神宮125社めぐりの中で内宮めぐりの一社。

同じく内宮の御垣内に鎮座するものに、内宮の所管社である宮比神屋乃波比伎神がある。

内宮の御垣内には一般参拝者が立ち入ることはできないため、付近の参道から遥拝する。

御垣内にあるため、式年遷宮で内宮が遷御するのに合わせて、20年に一度、当社含む三社も移動する。

当社は、内宮所管社で、滝祭神に次ぐ高位。御垣内の西北隅にある石畳の上に宮比神とともに、宮比神が北向きに対して、西向きに鎮座する。

6月と12月の月次祭および10月の神嘗祭の際には、奉仕する者全員が、まず当社に誠心誠意奉仕することを祈念する。

御祭神は社名と同じ興玉神(おきたまのかみ)。正宮の守護神。

『神名秘書』によれば、猿田彦大神またはその子孫である大田命の別名。宮比神は、猿田彦大神の妻である天鈿女命の別名ともされる。

『古事記』には死地は伊勢と明記されるほど、猿田彦大神は伊勢と関わりが深く、地主神と考えられたか。

鎌倉時代には宮域の地主神・猿田彦大神として興玉神を祀り、神嘗祭と月次祭の御贄供進の際に祭祀が行われた。

延暦23年(804年)の『延暦儀式帳』には記載されていないが、平安時代末期の文献には当社含む三社の名前が記されている。

当社と宮比神は現社名と同じであるが、屋乃波比伎神は「矢乃波々岐神」となっている。

当社と宮比神は寛文9年(1669年)以降、内宮の内玉垣外の北西の位置に鎮座したが、明治2年(1869年)からは板垣内北西端に鎮座することとなった。

当社が鎮座する内宮域の近くには、猿田彦神社が鎮座する。また、二見浦には二見興玉神社がある。

鈴鹿市には伊勢国一宮とされる都波岐神社椿大神社があり、いずれも猿田彦命を祀る重要な神社であって、周辺一帯に展開している。

当社が鎮座する内宮の神苑は例年、11月下旬から12月上旬にかけて紅葉の見頃となり、紅葉の名所。色づき始めた木々たちが五十鈴川の水面に映り、秋の訪れを感じさせる。

当社そのものに御朱印はない。内宮域では、内宮正宮のみ、御朱印を頂ける。

【ご利益】
内宮守護に専心する神
興玉神 - 神宮125社、内宮・所管社 内宮御垣内に鎮座するサルタヒコは内宮の守護神
皇大神宮(内宮)所管社
序列1 滝祭神 (伊勢市宇治)
序列2 興玉神 (伊勢市宇治)
序列3 宮比神 (伊勢市宇治)
序列4 屋乃波比伎神 (伊勢市宇治)
序列5 御酒殿神 (伊勢市宇治)
序列6 御稲御倉 (伊勢市宇治)
序列7 由貴御倉 (伊勢市宇治)
序列8 四至神 (伊勢市宇治)
序列9 神服織機殿神社 (松阪市大垣)
序列10-17 神服織機殿神社末社八所 (松阪市大垣)
序列18 神麻績機殿神社 (松阪市井口)
序列19-26 神麻績機殿神社末社八所 (松阪市井口)
序列27 御塩殿神社 (伊勢市二見町)
序列28 饗土橋姫神社 (伊勢市宇治)
序列29 大山祇神社 (伊勢市宇治)
序列30 子安神社 (伊勢市宇治)

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