神宮125社、外宮・末社 序列4位、志等美・大河内とともに鎮座する堤防の神
[住所]三重県伊勢市辻久留1-13
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打懸神社(うちかけじんじゃ)は、三重県伊勢市辻久留にある神社。豊受大神宮(外宮)の摂社である志等美神社大河内神社の付近にある。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、外宮の末社の一社。外宮末社8社の第4位。伊勢神宮125社めぐりの中で宮川めぐりの一社。

当社を含む外宮摂末社の三社があるのは、宮域自体は上社のもの。上社は当地の氏神、旧村社の神社。

上社の境内入り口の右手に鎮座している。上社の宮域面積は約700坪、うち三社の面積は406平方メートル。賽銭箱が置かれていない。

御祭神は打懸明神(うちかけみょうじん)。打懸の「かけ」は懸税(かけちから、稲穂)のことであり、五穀豊穣の神であるが、堤防の守護神でもある。

戦国時代に当社が荒廃した後、上社の境内社であった並社(旧 八王子社)となり、当社の御祭神がそのまま並社の御祭神となった。

創建は不詳。『類聚神祇本源』によれば、大治3年(1128年)に当社を含む外宮摂末社の三社の神階が正五位から従四位に昇級したという。伊勢の神宮125社のうちで神階を有するのはこの三社のみ。

当社を含む外宮摂末社の三社は、戦国時代になると建て替えが行われなくなり荒れるに任せていたが、後代に地元の住民が産土神として崇めるようになった。

産土神となったこの神社(現在の上社)は、永正16年(1519年)9月の記録では「二俣社」、大永6年(1526年)12月の記録では「二俣八王子社」、天文6年(1537年)11月の記録では「牛頭社」とある。

明治3年(1870年)10月、「牛頭社」の名前が仏教風であるとの理由で現社名「上社」に改称。明治16年(1883年)、当社を含む外宮摂末社の三社が旧社地である上社の境内に復した。

【ご利益】
堤防の神で、五穀豊穣の神

豊受大神宮(外宮)末社
序列1 伊我理神社 (伊勢市豊川町)
序列2 縣神社 (伊勢市御薗町)
序列3 井中神社 (伊勢市豊川町)
序列4 打懸神社 (伊勢市辻久留)
序列5 赤崎神社 (鳥羽市鳥羽)
序列6 毛理神社 (伊勢市御薗町)
序列7 大津神社 (伊勢市豊川町)
序列8 志宝屋神社 (伊勢市大湊町)

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