ひんここまつり
岐阜県美濃市大矢田、大矢田神社の祭礼「ひんここまつり」(国選択無形民俗文化財)が2015年4月12日、同神社一帯で行われ、地元住民が張り子の劇で「ひんここの舞」などを演じました。岐阜新聞が報じています。画像は美濃市による「ひんここまつり」の紹介ページ(出典:美濃市)。

スサノヲヤマタノオロチ退治の伝承と言えば、出雲ではありますが、この地にも2000年以上前と思われるスサノヲの悪竜退治の伝承が残っており、500年ほど前にスサノヲを題材にした「ひんここまつり」が始まった時に、名のない悪竜よりは、スサノヲと言えば、良く知られたヤマタノオロチだろ、ということになった、のかもしれません。

この地、古事記と極めてゆかりの深い場所で、かのアメノワカヒコの葬式が営まれた地“喪山”だと考えられています。つまり、その妻であるシタテルが日本初の和歌(厳密には、それこそスサノヲの方が先かもしれませんが)を歌った、と思われる場所でもあります。大矢田神社の起源が2000年以上前どころか、神話の時代にさかのぼることになります。

アメノワカヒコの廟があったこの地で、第七代孝霊天皇の御世、山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山のアメノワカヒコの廟に助けを求めたところ、スサノヲが現れ、そのため、里人たちがスサノヲを勧請したところ、スサノヲが見事悪竜を退治、それに感謝した里人が建立したのが大矢田神社です。

そして、アメノワカヒコは今、境外摂社・喪山天神社に祀られています。

大矢田神社と言えば、紅葉の名所というのが思い浮かびますが、根源にはアメノワカヒコがいることを忘れることなく、いわばアメノワカヒコの導きでスサノヲも登場してきたわけですので、「ひんここまつり」の後は喪山天神社にも足を延ばして、古事記の伝承に思いを馳せたいところです。

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