・所在地:栃木県栃木市大光寺町吾妻と、同県下都賀郡壬生町藤井吾妻原

・時 期:6世紀後半
・時 代:古墳時代後期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
栃木県栃木市大光寺町吾妻と栃木県下都賀郡壬生町藤井吾妻原に跨る、栃木県では最大、6世紀後半(古墳時代後期)の築造とされる前方後円墳。国の史跡に指定されている。

栃木県南部、思川・姿川に挟まれた台地上に築かれた。古墳は前方部を南に向ける。平成19年度(2007年度)から平成22年度(2010年度)にかけて発掘調査が行われた結果、県内最大の墳丘長を有することが判明。

埋葬施設は横穴式石室で、江戸時代に壬生藩主鳥居氏によって庭石にするために石室が開かれ、玄門・天井石が持ち出されたという。

石室の主体部は古墳の前方部中央に設けられており、奥壁・側壁は閃緑岩の一枚石、玄門は凝灰岩の切石、玄室前面側壁は川原石小口積み、羨門は凝灰岩からなる。石材は現在、壬生城跡地の公園に置かれている。

墳丘長約127.85メートル。墳丘は二段からなる。一段目は「基壇」とも呼ばれる幅広いもので、これは付近の古墳にも認められる形式であることから、「下野型古墳」という呼称もある。

本古墳では、一段目と二段目の形状が異なり相似形にはない。一段目の平面形は左右非対称の形で、二段目は後円部径・前方部幅がほぼ等しい。また、墳丘には一重の周堀が巡らされている。

思川・姿川間の台地上には5世紀末から7世紀にかけて多数の大規模古墳が築造されており、これらは当地の歴代在地首長墓とされる。現在の小山市で、5世紀末には摩利支天塚古墳(県内3位)が、6世紀始めには琵琶塚古墳(県内2位)が築かれた。

律令制下に入っても当地一帯は下毛野国(のち下野国)の中心部で、付近には下野国府・下野国分寺も営まれた。

【関連サイト】
吾妻古墳 - Wikipedia