徳川家康初葬の地、2015年で鎮座・家康死去から400年 拝殿など国宝
[住所]静岡県静岡市駿河区根古屋390
[電話]054-237-2438

久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、静岡県静岡市駿河区にある神社。近代社格では別格官幣社。現在は神社本庁の別表神社。全国に100社以上分布する東照宮の一社。全国東照宮連合会に加盟している。

晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬された。東照宮の総本社的存在である日光東照宮(栃木県・日光市)とともに代表的な東照宮であり、日本三大東照宮の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われ、近年では2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了。2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。2015年(平成27年)は鎮座400年。

久能山(標高216メートル)は、もともと日本平と共に、太古、海底の隆起によって形成されたもので、長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。

推古天皇(592- 628年)の頃、久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、静岡茶の始祖といわれる円爾(聖一国師)など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。

永禄11年(1568年)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を矢部(静岡市清水区)に移し(今の鉄舟寺)、この要害の地に久能城を築いた。

武田氏の滅亡後、徳川家康が領有、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)には2代将軍秀忠によって東照社(現 当宮)の社殿が造営された。

家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営であったので、日光山の東照社(現 日光東照宮)もほぼ同時期に造営が始まっている。

日光山の東照社は3代将軍家光の代になって「寛永の大造替」と呼ばれる大改築が完了、徳川家康を祀る日本全国の東照宮の総本社的存在となった。

同時に家光は久能山の整備も命じており、社殿以外の透塀、薬師堂(現 日枝神社))、神楽殿、鐘楼(現 鼓楼)、五重塔(非現存)、楼門が増築された。

御祭神はもちろん徳川家康、東照大神・東照大権現とされる。相殿神は豊臣秀吉、織田信長。三品立神饌が執り行われる例祭は家康の命日である4月17日、春季大祭が2月16日から18日まで、秋季大祭が10月17日。

本殿や拝殿国宝に指定されているほか、「久能山東照宮」13棟として、門や社殿などが国の重要文化財に指定されている。また、国宝の「太刀 銘真恒」がある。

二大・三大東照宮の一つ。芝東照宮によれば、芝東照宮とともに、日光東照宮、当社、上野東照宮四大東照宮とも言われる。

【ご利益】
無事長久、開運厄除、学芸成就、病気平癒など(公式HP
久能山東照宮 - 徳川家康初葬の地、2015年で鎮座・家康死去から400年 拝殿など国宝
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『日本の神社全国版 2015年 2/10 号 [雑誌]』 - 鎮座400年を迎える久能山東照宮
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久能山東照宮の御朱印