比定が二転三転したが、縄文期からの聖地、龍神祀る水の神
[住所]奈良県吉野郡川上村大字迫167
[電話]0746-52-0733

丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)は、奈良県吉野郡川上村にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「丹生川上神社(大和国・吉野郡)」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)の参考社。

神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「丹生川上社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。

二十二社(下八社)の一社。近代社格では官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。正式には「丹生川上神社」で、上社は下市町の丹生川上神社下社に対するもの。

主祭神は高龗神(たかおかみのかみ)、配神は大山祇神と大雷神。以前は罔象女神を主祭神としていたが、大正11年(1922年)の現丹生川上神社(中社)との併合に際して改められた。

明治初年までは高龗神社という小規模な祠で、その由緒も不詳だったが、大滝ダム建設に伴う境内の発掘調査で宮の平遺跡が発見され、境内及び周囲から、最大縄文時代中期末(約4000年前)まで遡れる祭祀跡が見つかっており、極めて古い聖地と判明。

祭祀は神代まで遡れ、初代神武天皇の即位前に日本書紀に関連の記述がある。創建は天武天皇の御代、白鳳4年(675)とされる。

明治6年(1873年)に郷社に列したが、当時式内社に比定され官幣大社となっていた丹生川上神社下社の少宮司江藤正澄から、当社こそが式内社との指摘が発表されたため、翌明治7年には当社を下社所轄の神社とし、下社を「口の宮」、当社を「奥の宮」と称した。

明治29年(1896年)に「口の宮」を「丹生川上下社」、当神社を「同上社」と改称し、2社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」となった。

大正4年(1915年)、現在の丹生川上神社中社がある東吉野村出身の森口奈良吉が『丹生川上神社考』を著して、当時蟻通神社と呼ばれていた中社こそが式内社とする説を発表。

大正11年(1922年)、上社・下社は中社に包括される形で、改めて三社を合わせて「官幣大社 丹生川上神社」とされた。当社の主祭神の変更はこの時。

昭和27年(1952年)に三社はそれぞれ独立、式内社の論社とはなっているが、中社が最有力で、当社と下社はそれぞれ参考とされる場合が多い。三社とも旧官幣大社とされる。

毎年10月8日に近い日曜日に例大祭が行われる。

【三社の主祭神】
・丹生川上神社(中社)……罔象女神
・丹生川上神社上社……高龗神
・丹生川上神社下社……闇龗神
いずれも水の神で、上社と下社の主祭神は同一神とされる。

【ご利益】
龍神、水の神。農業、生命の維持から病魔退散、病気平癒(公式HP
丹生川上神社上社
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『日本の神社全国版 2015 年 1/27 号 [雑誌]』 - 丹生川上神社、中社・上社・下社
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丹生川上神社上社の御朱印