国の重要文化財 鹿島神宮の楼門 - Wikipedia
高田崇史『QED 伊勢の曙光』では、主人公のタタルが「ああ、俺はこの『宮』の文字こそが、怨霊を祀っているというしるしだと考えている。伊勢神宮しかり、平安神宮しかり、宇佐神宮しかり、そして明治神宮もね。いや、ひょっとすると『神宮』という名称そのものが、怨霊を祀っている神社、という意味なのかもしれない」(P531)と言わせています。写真は国の重要文化財、鹿島神宮の楼門(出典:Wikipedia)。

一つ、原文と違うのは『宮』の字。原文ではウ冠の下の上下の口の間の斜め棒がない漢字。明治神宮の正式名称で使われている『宮』です。

この字が使われていることのほか、境内のつくりからしても、特に参道の途中に川が流れ橋を渡ること、参道が九十度折れ曲がっていることなどを理由に、明治神宮の御祭神・明治天皇は怨霊だった、としています。

「宮」の字のウ冠の下の上下の口の間の斜め棒は此岸と彼岸をつなぐ橋ととらえ、それは参道の途中の橋とも共通する、つまりそうして祀られている以上は明治天皇は明治神宮創建当時の人々にとって、怨霊と考えられていた、とするものです。

もちろん定説でもなんでもありません。しかし、考え方としては面白いと思います。そして、明治神宮に限らず、他の“神宮”も、怨霊を祀る神社なのではないか、と仮説を拡大させていくわけです。

もともと本書は伊勢の神宮の秘密を探る、ミステリー小説。その結果、伊勢の神宮は怨霊を祀っている、とした流れの中で、上記の明治神宮の話が出てきます。

それでは、神宮は本当に怨霊をお祀りしている神社、という定義がかつては存在した、今も存在しているのでしょうか。

特殊な例を除き、通常「神宮」号を称する神社は以下の通りです。

神宮号の神社
神宮とは? - 現在は自主判断も、原則として特別な由緒がある神社でなければ名乗れない

これらの中には、伊勢神宮、平安神宮宇佐神宮、明治神宮を含む、24の神社があります。それを三つに分けて、皇室祖先神、歴代天皇、その他としています。

伊勢の神宮が怨霊を祀る神社であるならば、皇室祖先神を祀る神社についても同じことが言える可能性はありますが、まずはそれは置いておいて、歴代天皇を祀る神宮号の神社から。

歴代天皇を祀る神宮号の神社

初代神武天皇と明治天皇はまず置いておくと、一目瞭然、ほとんど怨霊と認定してもよい天皇たちです。

氣比神宮(福井県敦賀市)…主祭神はイザサワケですが、一説には祭神の一柱である第14代仲哀天皇と同神と見る向きもあります。仲哀天皇は暗殺されたことが濃厚な天皇の一人です。

・宇佐神宮(大分県宇佐市)…第15代応神天皇やその母である神功皇后は怨霊とは考えられていないのが定説ですが、この神宮には、第二殿に第一殿の応神天皇より下位にされながらも、中央にどーんと祭祀されている、謎の神がいます。

近江神宮(滋賀県大津市)…第38代天智天皇。そもそも本神宮成立の契機となった大津遷都も、唐・新羅への恐怖から実現したものとされ、崩御されるまで白村江の戦いの後遺症に悩まされ、そしてやはり一部の伝承としてですが、暗殺説があります。

・平安神宮(京都府京都市左京区)…第50代桓武天皇は、怨霊、というか、怨霊に悩まされた天皇として有名であり、平安遷都も怨霊が主因でしょう。その崩御も後述のように怨霊が原因とする説も。第百二十一代孝明天皇は、明治天皇の父で、やはり暗殺説がある天皇です。

白峯神宮(京都府京都市上京区)…第75代崇徳天皇は日本を代表する大怨霊(定説)。第47代淳仁天皇も、歴代天皇のうちでもほぼ例のない仕打ちを受けた天皇。この神宮は定説として、怨霊を祀っている、と考えられています。

赤間神宮(山口県下関市)…第81代安徳天皇はわずか7歳で、源平の争乱に巻き込まれ、かの壇ノ浦の戦いで入水されました。ある意味で、誰の目から見ても「憐れ」と思われる=怨霊となる可能性の高い方です。

水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)…第82代後鳥羽上皇、第83代土御門天皇、第84代順徳天皇。いわゆる承久の乱の三天皇(上皇)です。立場が同じの皇族ではなく、武家という下位のものに都を追われた方々です。

吉野神宮(奈良県吉野郡吉野町)…第96代後醍醐天皇。鎌倉幕府を倒し、建武の新政を実現しながらも、その後都を追われ、多くの恨みを抱えながら吉野の地で崩御された天皇として有名です。

神武天皇と明治天皇の場合

さながら怨霊となった天皇の系譜です。神宮=怨霊というのももっともな話、ということにもなってくるかもしれません。そうすると、残りの神武天皇、明治天皇も、何かあったのではないか、と疑いたくもなります。

もっとも、明治の世になって、国家体制上、皇統を強調するにあたって、初代たる神武天皇を大きく顕彰する必要があったために、橿原神宮を創建し(全国有志の発願とは言え、当然主導権は時の政府)、宮崎神宮に改称した、ともいえ、即座に神武=怨霊とはならないかもしれません。

一方で、明治になってから突然神武天皇を祀るようになった、すなわち、それまではほとんど顧みられなかった初代天皇、ということにもなるわけで、当事者の中に「今までの仕打ち、さぞかしお怒りだろう」と思う気持ちが全くなかった、とは言い切れません。それが御霊信仰につながっても、あながち不思議ではないかもしれません。

では明治天皇は? これはやはり謎です。明治神宮は普通に、近代日本の礎を築いた大帝を称える、と考えるのが、最も通りがよいので。それとも秘された恨みを抱えていらしたのか。

歴代天皇の“神宮”の系譜との整合性をどのようにとるのか、難問です。戦後の改称なので北海道神宮は例外にしてよい、とは思えませんし。

明らかに暗殺されたと分かっている第20代安康天皇、第32代崇峻天皇は神宮という名の神社に祭られていません。

安康天皇に関しては、暗殺そのものが伝承に過ぎない、というよりは、それらの当時の話が史実として認定されていないのが現実ですが、崇峻天皇に関しては実際に祟った、という話も残されています。

崇峻天皇については、暗殺犯の黒幕である蘇我氏がそもそも滅亡しているので、大事に至らないだろう、という判断があったのかもしれません。

若干唐突ながら、出羽三山こそ、崇峻天皇の鎮魂の霊場、と考えることもできます。それでも、安康天皇については謎です。

以上の神宮はすべて終戦までに神宮号の宣下があった神宮であり、戦前戦中の政府、あるいは少なくとも宗教担当部門が、歴史的な怨霊を、20世紀に入ってもなお、真面目に恐れ、それが少なからず政策や国家運営に影響していたという証拠ではあると思われます。

皇室祖先神・歴代天皇でもない神宮

皇室祖先神でもなく、歴代天皇でもない神々を祀る神宮をみてみましょう。こちらにこそ神宮の秘密があるかもしれません。というのも、伊勢の神宮を除き、明治以前までに神宮号を許されたと明確になっている三社がこの中に含まれているからです。

言うまでもなく、石上神宮(延喜式の頃は神宮号ではない)、鹿島神宮香取神宮です。これに熱田神宮(神宮号宣下は明治以降)を加えて並べると、いずれも“剣”です。

「“剣”は祟る」というのはある意味常識で、熱田神宮の御神体である草薙の剣の祟りが第40代天武天皇の命を縮め、“剣”を御神体とする石上神宮、その神宝を他所へ移管したら祟り、それが第50代桓武天皇の崩御につながった、とも伝えられています。

神宮号を持つ神社に祀られている桓武天皇。一方、天武天皇をお祀りする神社は、大阪府大阪市の清見原神社(きよみはらじんじゃ)ぐらいです。

天武天皇の血筋は桓武天皇の誕生で確実に皇統から途絶えた、とされています。天武天皇が怨霊になった、とは聞きませんので、上記の草薙の剣の祟りは都市伝説なのかもしれません。

しかし、一般に「“剣”は祟る」と考えられたのは間違いありません。そうした認識が当時なければ、天武天皇への祟りがもし都市伝説だとしても、今に残るまで伝えられるとは思えません。

さて、香取神宮の御祭神はフツヌシ。“剣”そのものではありませんが、どうしても“剣”と関係が深い面があります。日本書紀によれば父は“剣”なので。鹿島神宮はタケミカヅチ、こちらも“剣”の子であり、“剣”(サジフツノカミ)を派遣して神武天皇の東遷を救ったことで有名で、その剣が石上神宮の御神体となっています。

そのタケミカヅチの剣の二代目が後に制作され、現在、鹿島神宮に納められていて、国宝に指定されています。比喩ではなく、現在にも神話は脈々と実態として受け継がれているわけです。

鹿島神宮は、かの出雲大社と同様、参拝者は参拝時に、御祭神と正対できない神社、という指摘があります。

出雲大社紫野教会の中島隆広教会長による「出雲大社は怨霊の神社?」は、井沢元彦氏の出雲大社怨霊説への反論の論説です。鹿島神宮の御祭神は参拝者と正対していない、という指摘の出元がこれです。

この中で、天津神も天津神、天孫族の功労者であるタケミカヅチの本拠地たる鹿島神宮でも、御祭神と参拝者が正対しない、ということがあり得るのだから、出雲大社で御祭神と参拝者が正対しなくても、それがすなわち怨霊であるとは言えない、としています。

しかししかし、鹿島神宮ももしかすると怨霊と関係しているのだ、というのが、別の角度、つまり「神宮」というその名からの推察で到達するとなると、出雲大社怨霊説をさらに補強することになるやもしれません。

鹿島神宮の不思議

鹿島神宮は、神社としての全体の向きとして北向きとも指摘されます。これは極めて珍しく、ほかには岡山県岡山市の吉備津神社などごくわずかに見られるのみとされます。

そして、鹿島神宮の位置である北緯35度59分、つまりこの東西のライン上、鹿島神宮の真西にタケミカヅチが下したタケミナカタが鎮座する諏訪大社の上社両宮があります(戸矢学『ツクヨミ 秘された神』)。

これらも偶然でしょうか? タケミカヅチそのものが怨霊と考えるのは、現在残る伝承から判断して、現時点では難しいのですが、参拝者と正対していない、ということから考えて、何かがあったのかもしれません。

しかし、これだけは言えるかもしれません。北緯35度59分のラインと北向きから考えて、鹿島神宮は、そしてその対となる香取神宮とともに、西の諏訪と北の蝦夷の監視役としての、怨霊封じ的な意味合いがあったのではないか?

日本書紀は諏訪やタケミナカタについて触れていません。古事記にあれだけ明記されているのに。記録から消したいぐらい、大きな脅威だったのでしょう。つまり、大和朝廷にとっては、ものすごくおっかない。不安で不安でたまらなかった。蝦夷についても、ひどいことをし続けてきたという自覚は大いにあった。

鹿島神宮と同じく、北向きの吉備津神社。より正確にはその北西方向にはなりますが、出雲があります。吉備平定の英雄が大怨霊出雲大神(オオクニヌシ)を監視し、国譲りの英雄が都の鬼門・北東の種々の禍々しきものに睨みを利かす、という大和朝廷の呪術的構図は、ある意味で分かりやすい。

蛇足ですが、オオクニヌシも祟り神、つまり怨霊です。古事記に明記されている(第11代垂仁天皇の御世)し、兵庫県宍粟市の伊和神社などにも伝承が残されています。大和朝廷にとって、少なくとも第29九代欽明天皇ごろまで、オオクニヌシの怨霊は大変な脅威だったようです。

延喜式以降三社体制となる神宮。もう一つの神宮である伊勢の神宮も、それそのものが怨霊であったかどうかはともかく、やはり怨霊の防波堤の意義が付与されたのではないでしょうか? それが中世から近世にかけての神宮号の謎の解。さらに言えば、出雲の不安定さがもう少し続いていたら、吉備津神宮になっていた、かもしれません。

皇室祖先神でもなく、歴代天皇でもない神々を祀る神宮、残り二つは実質一つ、日前神宮・國懸神宮ですが、ここは鏡=アマテラスゆかりなので、どちらかと言えば皇室祖先神に近い分類となります。

それも含めて、皇室祖先神の“神宮”怨霊説は一筋縄ではいかないところがあります。神宮号については明治の近代以降、さらには戦後改称のものもあり、保留気味にしてきた神武天皇、明治天皇、そして伊勢の神宮の本来の役割についても含めて、また改めて論じてみたいと思います。

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