磐余池? 橿原市の遺構の出土状況や地図
日本書紀に登場する「磐余池」(いわれいけ)推定地である奈良県橿原市の東池尻・池之内遺跡で、6世紀後半に造られた池の堤跡が見つかり、市教委が2015年3月12日、発表しました。

堤跡が確認されたのはこれで4回目で、市教委はこれまでの調査結果と合わせ、「考古学的に堤の上面の幅が25メートル以上とわかった。大規模な池で、池の構造を考える重要な資料」としているそうです。産経新聞が報じています。画像は、遺構の出土状況や地図(今回のではない)(出典:橿原市

磐余池については、今回発表された橿原市の遺跡において、平成23年(2011年)12月、遺構が出土したことが発表され話題になりましたが、最近になって千田稔・県立図書情報館長が反論、その比定地を桜井市の稚桜神社付近とする説を講演会などで論じてきました。

今回の発表は、たまたまのタイミングの可能性もありますが、千田氏の桜井市説に対する再反論という形になります。

にわかに「磐余池」論争が熱を帯びてきました。「磐余池」については既報のこちらから。

ざっくり言うと、
・橿原市説…橿原市教育委員会、2011年の遺構出土発表以来の考古調査成果
・桜井市説…千田氏や桜井市等、文献資料や、最近では戦後間もなくの航空写真
という構図です。

考古学か、文献か、というと、邪馬台国論争にも通じるところがあります(決定打はなかなか見いだせない可能性が高い、というところも)が、産経新聞が橿原市教委の談話として報じているように、論争を通じて、「磐余池」が脚光を浴びてるのは良いことだと思います。

古代史は謎の塊。3世紀の邪馬台国はもちろん、6世紀になっても、その主要な舞台ですら治定されないというのが今回示された現実です。地道な調査が必要なので、もうしばらくは時間がかかるかもしれませんが、今後より多くの古代日本の主要舞台が判明していくかもしれないと考えるとわくわくします。

現場はすでに埋め戻されており、現地説明会は行われませんが、これまでの調査成果の速報展を3月17日から5月10日まで、歴史に憩う橿原市博物館で開催、出土遺物も展示すると言います。お問い合わせは歴史に憩う橿原市博物館、電話:0744-27-9681まで。

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