・所在地:熊本県南阿蘇村大字両併字幅、高森町大字高森字津留
・経緯度:北緯32度80分86.47秒 東経131度10分96.55秒

・時 期:紀元前2世紀~3世紀
・時 代:弥生時代中期~後期
・形 状:環濠集落
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
集落の始まりが異なる二つのムラがある。まず最初に弥生時代の中ごろ、平らな台地の先端付近に小さな集落がつくられた。「西のムラ」と呼ぶ。Vの字に2メートルほどと深くほられた溝が集落の周囲をめぐった環濠集落。

ただし、溝が集落を一周することなく半円状になっているのが特徴。残り半分は、高さ10メートル近い崖を利用し、周囲から簡単にに集落に入ってくることができない仕組みになっていた。

もう一つは、台地の東側にあるので「東のムラ」と呼んでいるムラ。西のムラより遅れて、弥生時代後半、終末期につくられた西のムラの人口が増えることで住めなくなり、新たに東側につくったムラの可能性がある。

やはり環濠集落だが、西のムラと違い、深さは1.2メートルほど、ゆるやかなU字状の浅く幅の広い溝となっている。

西のムラでは石器が中心になっており、東のムラでは鉄器の使用が多くなっていることが分かっている。

東西のムラで共通しているのは集落のつくり。集落の中央部には竪穴住居が多くつくられ、その周りに倉庫がつくられ、さらにその周囲には溝がつくられ、さらにその外側には墓がつくられるという構想が同じもので、同一集団によるものとの推定が成り立っている。

また、東西のムラには、地面に石が突き刺してある、立柱が残っていた。阿蘇五岳の根子岳に向けられており、弥生時代は木製であることが多いが、ここでは石製であり、珍しい。

【関連サイト】
平成25年現地説明会資料「今 明らかになる弥生時代の巨大集落 幅・津留遺跡」(PDF)
竪穴住居の復元イメージ - 平成25年現地説明会資料「今 明らかになる弥生時代の巨大集落 幅・津留遺跡」(PDF)