古墳じゃなかった池山古墳も載っている、巻末史料 国・県・市指定文化財等一覧 - 宇治市
京都府宇治市の「池山古墳」を初めて発掘調査したところ、中近世とみられる埋葬用の穴が見つかり、宇治市が2015年2月17日発表しました。産経新聞が報じています。画像は宇治市が発表していた埋蔵文化財等の一覧で、「池山古墳」も出ていた(出典:宇治市)。

古墳時代前期の築造、44メートルの円墳、と考えられていました。

掘ったから分かったのであって、掘らなかったらずっと古墳だと間違って思い続けていたわけですから、結果が出てよかった、ということでもあると思います。下手に隠したり、ごまかしたりするのではなく、間違いは間違いと発表するのもよいですね。

こうした事例は、実は多いのかもしれません。特に宮内庁の管理下にある治定陵は、ほとんど調査されていないわけですから、専門家から「古墳じゃない」と指摘のあるものでも、今でも検証されずに治定陵として存在しているのが現状です。

古墳かもしれないが、宮内庁が治定している被葬者とは違う陵墓、などのケースは、膨大なものになるかもしれません。

やはり治定陵で、宇治にあるのが丸山古墳(京都府・宇治市)。一部ではやはり「古墳ではない」可能性が指摘されています。そうした論では、そもそも宇治には目立った古墳がない、とも指摘されます。今回のケースはそれを立証する一つのピースともなるかもしれません。

丸山古墳の被葬者は、古事記の主役の一人・和紀郎子(わきのいらつこ)とされます。名前に「うじの」と付くぐらい、宇治とゆかりが深く、もしかしたら実際は即位していたかもしれない、第十五代応神天皇皇太子。

そうして探していくと、宇治には目立った他の古墳が無く、やむを得ず丸山古墳に比定した、という“都市伝説”(と言っておきます)もあるぐらいです。

丸山古墳をもってすべての治定陵のたとえにするつもりはありませんが、そうした例があることを今回の件は思い返させます。

様々な問題をはらむので、治定陵をすぐさま発掘調査しろ、という訳ではありませんが、今回の件は、「調査してみないと分からない」といういわば当たり前のことを、当たり前のように立証したケースとして記憶にとどめておきたいところです。