・刊行:1971/1/30
・著者:石母田正
・出版:岩波書店
・『日本の古代国家 (1971年) (日本歴史叢書)』をアマゾンで購入
石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 - 1986年1月18日)は、日本史学者。専攻は古代史および中世史で、多数の著作・論文がある。唯物史観の観点から多くの論文・著作を発表、戦後の歴史学に多大な影響を与えた。
戦後、歴史学を志した人々の多くが石母田の著書(特に「中世的世界の形成」)を読んだことにより、歴史学を専攻する道を選んだ(石母田正著作集各月報より)と述べている。
本書では、卑弥呼は国内に対する原始的な巫女の顔と、中国の動向に対する国際情勢を読む開明的君主の二つの顔を持っていた、とし、魏が帯方郡を押さえたことに対応する形で、邪馬台国の三十国に対する支配が確立したと指摘した。
邪馬台国の位置論ばかりではなく、国としての性格、いわゆる国家論にも言及した論者として知られている。階級差別がはっきりしており、刑罰あり、租税あり、統治機構があって、それだから、邪馬台国は雛形国家政権とされていた、としている。
管理人了
「シャーマン王として疎外されていた」などの記述を見ると、マルクス主義史観らしさがうかがえ、その限界も露呈しているといえる。祭祀、呪術こそが政の最重要課題であった当時のことを度外視し、歴史は発展する、というモデルを無理に当てはめようとした結果。
・著者:石母田正
・出版:岩波書店
・『日本の古代国家 (1971年) (日本歴史叢書)』をアマゾンで購入
石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 - 1986年1月18日)は、日本史学者。専攻は古代史および中世史で、多数の著作・論文がある。唯物史観の観点から多くの論文・著作を発表、戦後の歴史学に多大な影響を与えた。
戦後、歴史学を志した人々の多くが石母田の著書(特に「中世的世界の形成」)を読んだことにより、歴史学を専攻する道を選んだ(石母田正著作集各月報より)と述べている。
本書では、卑弥呼は国内に対する原始的な巫女の顔と、中国の動向に対する国際情勢を読む開明的君主の二つの顔を持っていた、とし、魏が帯方郡を押さえたことに対応する形で、邪馬台国の三十国に対する支配が確立したと指摘した。
邪馬台国の位置論ばかりではなく、国としての性格、いわゆる国家論にも言及した論者として知られている。階級差別がはっきりしており、刑罰あり、租税あり、統治機構があって、それだから、邪馬台国は雛形国家政権とされていた、としている。
管理人了
「シャーマン王として疎外されていた」などの記述を見ると、マルクス主義史観らしさがうかがえ、その限界も露呈しているといえる。祭祀、呪術こそが政の最重要課題であった当時のことを度外視し、歴史は発展する、というモデルを無理に当てはめようとした結果。
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