・刊行:1977/10
・著者:吉田東伍
・出版:冨山房
・『日韓古史断 (1977年)』をアマゾンで購入
吉田 東伍(よしだ とうご、元治元年4月14日(1864年5月19日) - 大正7年(1918年)1月22日)は日本の歴史学者、地理学者(歴史地理学)。新潟県出身。「大日本地名辞書」の編纂者として知られる。日本歴史地理学会(日本歴史地理研究会)の創設者の一人。
著書「日韓古史断」(1893年)の中で、菅政友の後を受け、微細に邪馬台国問題を研究、邪馬台国は熊襲の國都噌於城にあったとし、現在の宮崎県都城市。卑弥呼はその辺りの「日の御子」が大和の倭王と偽ったものである、とした。
また、那珂通世「上世年紀元考」(1878年)に端を発したいわゆる紀年論争に参画したことでも知られる。
【関連記事】
・【邪馬台国論争】今までの研究・論争まとめ - 九州説 - 宮崎県
・著者:吉田東伍
・出版:冨山房
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吉田 東伍(よしだ とうご、元治元年4月14日(1864年5月19日) - 大正7年(1918年)1月22日)は日本の歴史学者、地理学者(歴史地理学)。新潟県出身。「大日本地名辞書」の編纂者として知られる。日本歴史地理学会(日本歴史地理研究会)の創設者の一人。
著書「日韓古史断」(1893年)の中で、菅政友の後を受け、微細に邪馬台国問題を研究、邪馬台国は熊襲の國都噌於城にあったとし、現在の宮崎県都城市。卑弥呼はその辺りの「日の御子」が大和の倭王と偽ったものである、とした。
また、那珂通世「上世年紀元考」(1878年)に端を発したいわゆる紀年論争に参画したことでも知られる。
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