飛鳥寺西方遺跡(2013年2月) - 明日香村教育委員会
奈良県明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、飛鳥時代(7世紀)の建物跡が2棟分見つかり2015年2月5日、村教委が発表しました。日本書紀の記述から、壬申の乱(672年)の際の軍営施設か、東北や南九州の人を接待した饗宴施設の可能性があるといいます。産経新聞が報じています

写真は2013年2月、明日香村教育委員会が発表した「飛鳥寺西方遺跡」レポートより。レポートは、2011年11月版もあります。

飛鳥寺西方遺跡は、大化改新(645年)の前年、その立役者となる、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が蹴鞠を通じて出会った「槻の木の広場」とされます。その後も「飛鳥寺の西」として、日本書紀にたびたび登場します。

天智天皇の死後、その皇子である大友皇子と、弟とされる大海人皇子(のちの天武天皇)が争った壬申の乱では、「飛鳥寺の西に大友側が軍営を構え、大海人側の軍勢がこれを奪った」との記述があります。

また、天武・持統朝には飛鳥寺の西で都にやってきた南九州の隼人や東北の蝦夷をもてなす宴会が開かれと記されています。

しっかりとした建物跡のようですので、どちらかといえば後者でしょうか。九州から、東北から、それぞれやって来た“客人”をもてなす、ナショナリズムが高揚していた時ですから、朝廷側には「朝貢」にやって来た意識があったかもしれません。

現地説明会が2月8日午前10時から行われます。お問い合わせは明日香村教委文化財課まで。電話:0744-54-5600。