・刊行:1981/9
・著者:肥田政彦
・出版:-

・『邪馬壱国(所謂邪馬台国)は焼津・登呂―旅行日程の新解読法を発見 (1981年)』をアマゾンで購入

肥田政彦は邪馬台国論争において、邪馬台国の所在を当初は静岡県の焼津や登呂に比定。邪馬台国静岡説を提唱する。しかし、下記のように著作を出版し続け、最終的には南伊豆、下田市を想定した。

“邪馬壱国西進”箸墓の被葬者は女王壱与 (1981年)
邪馬台国大和説、九州説が成り立たない理由・邪馬壱国(所謂邪馬台国)の山は富士山 (1982年)
卑弥呼は磐長姫、墓は東伊豆町稲取の飯盛山、邪馬壱国は伊豆の下田(1983年)
邪馬壱国(所謂邪馬台国)諸問題の解決 (1984年)